2008年11月7日金曜日

 垣巡《かきめぐ》りと云《い》う運動を説明した時に、主人の庭を結《ゆ》い繞《めぐ》らしてある竹垣の事をちょっと述べたつもりであるが、この竹垣の外がすぐ隣家、即ち南隣《みなみどなり》の次郎《じろ》ちゃんとこと思っては誤解である。家賃は安いがそこは苦沙弥《くしゃみ》先生である。与《よ》っちゃんや次郎ちゃんなどと号する、いわゆるちゃん付きの連中と、薄っ片《ぺら》な垣一重を隔てて御隣り同志の親密なる交際は結んでおらぬ。この垣の外は五六間の空地《あきち》であって、その尽くるところに檜《ひのき》が蓊然《こんもり》と五六本|併《なら》んでいる。椽側《えんがわ》から拝見すると、向うは茂った森で、ここに往む先生は野中の一軒家に、無名の猫を友にして日月《じつげつ》を送る江湖《こうこ》の処士《しょし》であるかのごとき感がある。但《ただ》し檜の枝は吹聴《ふいちょう》するごとく密生しておらんので、その間《あいだ》から群鶴館《ぐんかくかん》という、名前だけ立派な安下宿の安屋根が遠慮なく見えるから、しかく先生を想像するのにはよほど骨の折れるのは無論である。しかしこの下宿が群鶴館なら先生の居《きょ》はたしかに臥竜窟《がりょうくつ》くらいな価値はある。名前に税はかからんから御互にえらそうな奴を勝手次第に付ける事として、この幅五六間の空地が竹垣を添うて東西に走る事約十間、それから、たちまち鉤《かぎ》の手に屈曲して、臥竜窟の北面を取り囲んでいる。この北面が騒動の種である。本来なら空地を行き尽してまたあき地、とか何とか威張ってもいいくらいに家の二側《ふたがわ》を包んでいるのだが、臥竜窟《がりょうくつ》の主人は無論窟内の霊猫《れいびょう》たる吾輩すらこのあき地には手こずっている。南側に檜《ひのき》が幅を利《き》かしているごとく、北側には桐《きり》の木が七八本行列している。もう周囲一尺くらいにのびているから下駄屋さえ連れてくればいい価《ね》になるんだが、借家《しゃくや》の悲しさには、いくら気が付いても実行は出来ん。主人に対しても気の毒である。せんだって学校の小使が来て枝を一本切って行ったが、そのつぎに来た時は新らしい桐の俎下駄《まないたげた》を穿《は》いて、この間の枝でこしらえましたと、聞きもせんのに吹聴《ふいちょう》していた。ずるい奴だ。桐はあるが吾輩及び主人家族にとっては一文にもならない桐である。玉を抱《いだ》いて罪ありと云う古語があるそうだが、これは桐を生《は》やして銭《ぜに》なしと云ってもしかるべきもので、いわゆる宝の持ち腐《ぐさ》れである。愚《ぐ》なるものは主人にあらず、吾輩にあらず、家主《やぬし》の伝兵衛である。いないかな、いないかな、下駄屋はいないかなと桐の方で催促しているのに知らん面《かお》をして屋賃《やちん》ばかり取り立てにくる。吾輩は別に伝兵衛に恨《うらみ》もないから彼の悪口《あっこう》をこのくらいにして、本題に戻ってこの空地《あきち》が騒動の種であると云う珍譚《ちんだん》を紹介|仕《つかまつ》るが、決して主人にいってはいけない。これぎりの話しである。そもそもこの空地に関して第一の不都合なる事は垣根のない事である。吹き払い、吹き通し、抜け裏、通行御免天下晴れての空地である。ある[#「ある」に傍点]と云うと嘘をつくようでよろしくない。実を云うとあった[#「あった」に傍点]のである。しかし話しは過去へ溯《さかのぼ》らんと源因が分からない。源因が分からないと、医者でも処方《しょほう》に迷惑する。だからここへ引き越して来た当時からゆっくりと話し始める。吹き通しも夏はせいせいして心持ちがいいものだ、不用心だって金のないところに盗難のあるはずはない。だから主人の家に、あらゆる塀《へい》、垣、乃至《ないし》は乱杭《らんぐい》、逆茂木《さかもぎ》の類は全く不要である。しかしながらこれは空地の向うに住居《すまい》する人間もしくは動物の種類|如何《いかん》によって決せらるる問題であろうと思う。従ってこの問題を決するためには勢い向う側に陣取っている君子の性質を明かにせんければならん。人間だか動物だか分らない先に君子と称するのははなはだ早計のようではあるが大抵君子で間違はない。梁上《りょうじょう》の君子などと云って泥棒さえ君子と云う世の中である。但《ただ》しこの場合における君子は決して警察の厄介になるような君子ではない。警察の厄介にならない代りに、数でこなした者と見えて沢山いる。うじゃうじゃいる。落雲館《らくうんかん》と称する私立の中学校――八百の君子をいやが上に君子に養成するために毎月二円の月謝を徴集する学校である。名前が落雲館だから風流な君子ばかりかと思うと、それがそもそもの間違になる。その信用すべからざる事は群鶴館《ぐんかくかん》に鶴の下りざるごとく、臥竜窟に猫がいるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気違のある事を知った以上は落雲館の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳《わけ》だ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿《とま》りに来て見るがいい。
 前《ぜん》申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地《あきち》に垣がないので、落雲館の君子は車屋の黒のごとく、のそのそと桐畠《きりばたけ》に這入《はい》り込んできて、話をする、弁当を食う、笹《ささ》の上に寝転《ねころ》ぶ――いろいろの事をやったものだ。それからは弁当の死骸|即《すなわ》ち竹の皮、古新聞、あるいは古草履《ふるぞうり》、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようだ。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知っても咎《とが》めんつもりであったのか分らない。ところが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食《さんしょく》を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但《ただ》しほかに言葉がないのである。彼等は水草《すいそう》を追うて居を変ずる沙漠《さばく》の住民のごとく、桐《きり》の木を去って檜《ひのき》の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後《のち》彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆《だいだいたん》となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼《せま》るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字《みそひともじ》の類《たぐい》ではない、もっと活溌《かっぱつ》で、もっと俗耳《ぞくじ》に入り易《やす》い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服《たんぷく》して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際|図《はか》らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入《はい》る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声《こうせい》に談話をする。しかも君子の談話だから一風《いっぷう》違って、おめえ[#「おめえ」に傍点]だの知らねえ[#「知らねえ」に傍点]のと云う。そんな言葉は御維新前《ごいっしんまえ》は折助《おりすけ》と雲助《くもすけ》と三助《さんすけ》の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑《けいべつ》せられたる運動が、かくのごとく今日《こんにち》歓迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能《かんのう》なる一人を捉《つら》まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ[#「おめえ」に傍点]、知らねえ[#「知らねえ」に傍点]」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒《いまし》めて放してやった。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子の袖《そで》を捉《とら》えて談判したのである。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女※[#「女+咼」、第3水準1-15-89]氏《じょかし》の時代から予期と違うもので、主人はまた失敗した。今度は北側から邸内を横断して表門から抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がする。形勢はますます不穏である。教育の功果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立て籠《こも》って、恭《うやうや》しく一書を落雲館校長に奉って、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重《ていちょう》なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云った。しばらくすると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がった。これでようよう安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。このくらいの事で君子の挙動の変化する訳がない。
 全体人にからかうのは面白いものである。吾輩のような猫ですら、時々は当家の令嬢にからかって遊ぶくらいだから、落雲館の君子が、気の利《き》かない苦沙弥先生にからかうのは至極《しごく》もっともなところで、これに不平なのは恐らく、からかわれる当人だけであろう。からかうと云う心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかわれる当人が平気ですましていてはならん。第二からかう者が勢力において人数において相手より強くなくてはいかん。この間主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝《らくだ》と小犬の喧嘩を見たのだそうだ。小犬が駱駝の周囲を疾風のごとく廻転して吠《ほ》え立てると、駱駝は何の気もつかずに、依然として背中《せなか》へ瘤《こぶ》をこしらえて突っ立ったままであるそうだ。いくら吠えても狂っても相手にせんので、しまいには犬も愛想《あいそ》をつかしてやめる、実に駱駝は無神経だと笑っていたが、それがこの場合の適例である。いくらからかうものが上手でも相手が駱駝と来ては成立しない。さればと云って獅子《しし》や虎《とら》のように先方が強過ぎても者にならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出して怒《おこ》る、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんな事が面白いと云うとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯《ひげ》の数さえ勘定して見たくなる者だ。昔《むか》し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊《ぶりょう》のあまり、房《へや》の壁に三角形を重ねて画《か》いてその日をくらしたと云う話がある。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかう[#「からかう」に傍点]と云うのもつまりこの刺激を作って遊ぶ一種の娯楽である。但《ただ》し多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかう[#「からかう」に傍点]と云う娯楽に耽《ふけ》るものは人の気を知らない馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇《いとま》なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法である。人を殺したり、人を傷《きずつ》けたり、または人を陥《おとしい》れたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行《すいこう》した後《のち》に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかう[#「からかう」に傍点]のが一番|御恰好《おかっこう》である。多少人を傷けなければ自己のえらい[#「えらい」に傍点]事は事実の上に証拠だてられない。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人間は自己を恃《たの》むものである。否恃み難い場合でも恃みたいものである。それだから自己はこれだけ恃める者だ、これなら安心だと云う事を、人に対して実地に応用して見ないと気がすまない。しかも理窟《りくつ》のわからない俗物や、あまり自己が恃みになりそうもなくて落ちつきのない者は、あらゆる機会を利用して、この証券を握ろうとする。柔術使が時々人を投げて見たくなるのと同じ事である。柔術の怪しいものは、どうか自分より弱い奴に、ただの一|返《ぺん》でいいから出逢って見たい、素人《しろうと》でも構わないから抛《な》げて見たいと至極危険な了見を抱《いだ》いて町内をあるくのもこれがためである。その他にも理由はいろいろあるが、あまり長くなるから略する事に致す。聞きたければ鰹節《かつぶし》の一折《ひとおり》も持って習いにくるがいい、いつでも教えてやる。以上に説くところを参考して推論して見ると、吾輩の考《かんがえ》では奥山《おくやま》の猿《さる》と、学校の教師がからかうには一番手頃である。学校の教師をもって、奥山の猿に比較しては勿体《もったい》ない。――猿に対して勿体ないのではない、教師に対して勿体ないのである。しかしよく似ているから仕方がない、御承知の通り奥山の猿は鎖《くさり》で繋《つな》がれている。いくら歯をむき出しても、きゃっきゃっ騒いでも引き掻《か》かれる気遣《きづかい》はない。教師は鎖で繋がれておらない代りに月給で縛られている。いくらからかったって大丈夫、辞職して生徒をぶんなぐる事はない。辞職をする勇気のあるようなものなら最初から教師などをして生徒の御守《おも》りは勤めないはずである。主人は教師である。落雲館の教師ではないが、やはり教師に相違ない。からかう[#「からかう」に傍点]には至極《しごく》適当で、至極|安直《あんちょく》で、至極無事な男である。落雲館の生徒は少年である。からかう[#「からかう」に傍点]事は自己の鼻を高くする所以《ゆえん》で、教育の功果として至当に要求してしかるべき権利とまで心得ている。のみならずからかい[#「からかい」に傍点]でもしなければ、活気に充《み》ちた五体と頭脳を、いかに使用してしかるべきか十分《じっぷん》の休暇中|持《も》てあまして困っている連中である。これらの条件が備われば主人は自《おのず》からからかわれ[#「からかわれ」に傍点]、生徒は自からからかう[#「からかう」に傍点]、誰から云わしても毫《ごう》も無理のないところである。それを怒《おこ》る主人は野暮《やぼ》の極、間抜の骨頂でしょう。これから落雲館の生徒がいかに主人にからかったか、これに対して主人がいかに野暮を極めたかを逐一かいてご覧に入れる。
 諸君は四つ目垣とはいかなる者であるか御承知であろう。風通しのいい、簡便な垣である。吾輩などは目の間から自由自在に往来する事が出来る。こしらえたって、こしらえなくたって同じ事だ。然し落雲館の校長は猫のために四つ目垣を作ったのではない、自分が養成する君子が潜《くぐ》られんために、わざわざ職人を入れて結《ゆ》い繞《めぐ》らせたのである。なるほどいくら風通しがよく出来ていても、人間には潜《くぐ》れそうにない。この竹をもって組み合せたる四寸角の穴をぬける事は、清国《しんこく》の奇術師|張世尊《ちょうせいそん》その人といえどもむずかしい。だから人間に対しては充分垣の功能をつくしているに相違ない。主人がその出来上ったのを見て、これならよかろうと喜んだのも無理はない。しかし主人の論理には大《おおい》なる穴がある。この垣よりも大いなる穴がある。呑舟《どんしゅう》の魚をも洩《も》らすべき大穴がある。彼は垣は踰《こ》ゆべきものにあらずとの仮定から出立している。いやしくも学校の生徒たる以上はいかに粗末の垣でも、垣と云う名がついて、分界線の区域さえ判然すれば決して乱入される気遣はないと仮定したのである。次に彼はその仮定をしばらく打ち崩《くず》して、よし乱入する者があっても大丈夫と論断したのである。四つ目垣の穴を潜《くぐ》り得る事は、いかなる小僧といえどもとうてい出来る気遣はないから乱入の虞《おそれ》は決してないと速定《そくてい》してしまったのである。なるほど彼等が猫でない限りはこの四角の目をぬけてくる事はしまい、したくても出来まいが、乗り踰《こ》える事、飛び越える事は何の事もない。かえって運動になって面白いくらいである。
 垣の出来た翌日から、垣の出来ぬ前と同様に彼等は北側の空地へぽかりぽかりと飛び込む。但《ただ》し座敷の正面までは深入りをしない。もし追い懸けられたら逃げるのに、少々ひまがいるから、予《あらかじ》め逃げる時間を勘定に入《い》れて、捕《とら》えらるる危険のない所で遊弋《ゆうよく》をしている。彼等が何をしているか東の離れにいる主人には無論目に入《い》らない。北側の空地《あきち》に彼等が遊弋している状態は、木戸をあけて反対の方角から鉤《かぎ》の手に曲って見るか、または後架《こうか》の窓から垣根越しに眺《なが》めるよりほかに仕方がない。窓から眺める時はどこに何がいるか、一目《いちもく》明瞭に見渡す事が出来るが、よしや敵を幾人《いくたり》見出したからと云って捕える訳には行かぬ。ただ窓の格子《こうし》の中から叱りつけるばかりである。もし木戸から迂回《うかい》して敵地を突こうとすれば、足音を聞きつけて、ぽかりぽかりと捉《つら》まる前に向う側へ下りてしまう。膃肭臍《おっとせい》がひなたぼっこをしているところへ密猟船が向ったような者だ。主人は無論後架で張り番をしている訳ではない。と云って木戸を開いて、音がしたら直ぐ飛び出す用意もない。もしそんな事をやる日には教師を辞職して、その方専門にならなければ追っつかない。主人方の不利を云うと書斎からは敵の声だけ聞えて姿が見えないのと、窓からは姿が見えるだけで手が出せない事である。この不利を看破したる敵はこんな軍略を講じた。主人が書斎に立て籠《こも》っていると探偵した時には、なるべく大きな声を出してわあわあ云う。その中には主人をひやかすような事を聞こえよがしに述べる。しかもその声の出所を極めて不分明にする。ちょっと聞くと垣の内で騒いでいるのか、あるいは向う側であばれているのか判定しにくいようにする。もし主人が出懸けて来たら、逃げ出すか、または始めから向う側にいて知らん顔をする。また主人が後架へ――吾輩は最前からしきりに後架後架ときたない字を使用するのを別段の光栄とも思っておらん、実は迷惑千万であるが、この戦争を記述する上において必要であるからやむを得ない。――即《すなわ》ち主人が後架へまかり越したと見て取るときは、必ず桐の木の附近を徘徊《はいかい》してわざと主人の眼につくようにする。主人がもし後架から四隣《しりん》に響く大音を揚げて怒鳴りつければ敵は周章《あわ》てる気色《けしき》もなく悠然《ゆうぜん》と根拠地へ引きあげる。この軍略を用いられると主人ははなはだ困却する。たしかに這入《はい》っているなと思ってステッキを持って出懸けると寂然《せきぜん》として誰もいない。いないかと思って窓からのぞくと必ず一二人這入っている。主人は裏へ廻って見たり、後架から覗《のぞ》いて見たり、後架から覗いて見たり、裏へ廻って見たり、何度言っても同じ事だが、何度云っても同じ事を繰り返している。奔命《ほんめい》に疲れるとはこの事である。教師が職業であるか、戦争が本務であるかちょっと分らないくらい逆上《ぎゃくじょう》して来た。この逆上の頂点に達した時に下《しも》の事件が起ったのである。
 事件は大概逆上から出る者だ。逆上とは読んで字のごとく逆《さ》かさに上《のぼ》るのである、この点に関してはゲーレンもパラセルサスも旧弊なる扁鵲《へんじゃく》も異議を唱《とな》うる者は一人もない。ただどこへ逆《さ》かさに上《のぼ》るかが問題である。また何が逆かさに上るかが議論のあるところである。古来欧洲人の伝説によると、吾人の体内には四種の液が循環しておったそうだ。第一に怒液《どえき》と云う奴《やつ》がある。これが逆かさに上ると怒《おこ》り出す。第二に鈍液《どんえき》と名づくるのがある。これが逆かさに上ると神経が鈍《にぶ》くなる。次には憂液《ゆうえき》、これは人間を陰気にする。最後が血液《けつえき》、これは四肢《しし》を壮《さか》んにする。その後《ご》人文が進むに従って鈍液、怒液、憂液はいつの間《ま》にかなくなって、現今に至っては血液だけが昔のように循環していると云う話しだ。だからもし逆上する者があらば血液よりほかにはあるまいと思われる。しかるにこの血液の分量は個人によってちゃんと極《き》まっている。性分によって多少の増減はあるが、まず大抵一人前に付五升五合の割合である。だによって、この五升五合が逆かさに上ると、上ったところだけは熾《さか》んに活動するが、その他の局部は欠乏を感じて冷たくなる。ちょうど交番焼打の当時巡査がことごとく警察署へ集って、町内には一人もなくなったようなものだ。あれも医学上から診断をすると警察の逆上と云う者である。でこの逆上を癒《い》やすには血液を従前のごとく体内の各部へ平均に分配しなければならん。そうするには逆かさに上った奴を下へ降《おろ》さなくてはならん。その方にはいろいろある。今は故人となられたが主人の先君などは濡《ぬ》れ手拭《てぬぐい》を頭にあてて炬燵《こたつ》にあたっておられたそうだ。頭寒足熱《ずかんそくねつ》は延命息災の徴と傷寒論《しょうかんろん》にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべからざる者である。それでなければ坊主の慣用する手段を試みるがよい。一所不住《いっしょふじゅう》の沙門《しゃもん》雲水行脚《うんすいあんぎゃ》の衲僧《のうそう》は必ず樹下石上を宿《やど》とすとある。樹下石上とは難行苦行のためではない。全くのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を下《さ》げるために六祖《ろくそ》が米を舂《つ》きながら考え出した秘法である。試みに石の上に坐ってご覧、尻が冷えるのは当り前だろう。尻が冷える、のぼせが下がる、これまた自然の順序にして毫《ごう》も疑を挟《さしはさ》むべき余地はない。かようにいろいろな方法を用いてのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を下げる工夫は大分《だいぶ》発明されたが、まだのぼせ[#「のぼせ」に傍点]を引き起す良方が案出されないのは残念である。一概に考えるとのぼせは損あって益なき現象であるが、そうばかり速断してならん場合がある。職業によると逆上はよほど大切な者で、逆上せんと何にも出来ない事がある。その中《うち》でもっとも逆上を重んずるのは詩人である。詩人に逆上が必要なる事は汽船に石炭が欠くべからざるような者で、この供給が一日でも途切れると彼れ等は手を拱《こまぬ》いて飯を食うよりほかに何等の能もない凡人になってしまう。もっとも逆上は気違の異名《いみょう》で、気違にならないと家業《かぎょう》が立ち行かんとあっては世間体《せけんてい》が悪いから、彼等の仲間では逆上を呼ぶに逆上の名をもってしない。申し合せてインスピレーション、インスピレーションとさも勿体《もったい》そうに称《とな》えている。これは彼等が世間を瞞着《まんちゃく》するために製造した名でその実は正に逆上である。プレートーは彼等の肩を持ってこの種の逆上を神聖なる狂気と号したが、いくら神聖でも狂気では人が相手にしない。やはりインスピレーションと云う新発明の売薬のような名を付けておく方が彼等のためによかろうと思う。しかし蒲鉾《かまぼこ》の種が山芋《やまいも》であるごとく、観音《かんのん》の像が一寸八分の朽木《くちき》であるごとく、鴨南蛮《かもなんばん》の材料が烏であるごとく、下宿屋の牛鍋《ぎゅうなべ》が馬肉であるごとくインスピレーションも実は逆上である。逆上であって見れば臨時の気違である。巣鴨へ入院せずに済むのは単に臨時[#「臨時」に傍点]気違であるからだ。ところがこの臨時の気違を製造する事が困難なのである。一生涯《いっしょうがい》の狂人はかえって出来安いが、筆を執《と》って紙に向う間《あいだ》だけ気違にするのは、いかに巧者《こうしゃ》な神様でもよほど骨が折れると見えて、なかなか拵《こしら》えて見せない。神が作ってくれん以上は自力で拵えなければならん。そこで昔から今日《こんにち》まで逆上術もまた逆上とりのけ術と同じく大《おおい》に学者の頭脳を悩ました。ある人はインスピレーションを得るために毎日渋柿を十二個ずつ食った。これは渋柿を食えば便秘する、便秘すれば逆上は必ず起るという理論から来たものだ。またある人はかん徳利を持って鉄砲風呂《てっぽうぶろ》へ飛び込んだ。湯の中で酒を飲んだら逆上するに極《きま》っていると考えたのである。その人の説によるとこれで成功しなければ葡萄酒《ぶどうしゅ》の湯をわかして這入《はい》れば一|返《ぺん》で功能があると信じ切っている。しかし金がないのでついに実行する事が出来なくて死んでしまったのは気の毒である。最後に古人の真似をしたらインスピレーションが起るだろうと思いついた者がある。これはある人の態度動作を真似ると心的状態もその人に似てくると云う学説を応用したのである。酔っぱらいのように管《くだ》を捲《ま》いていると、いつの間《ま》にか酒飲みのような心持になる、坐禅をして線香一本の間我慢しているとどことなく坊主らしい気分になれる。だから昔からインスピレーションを受けた有名の大家の所作《しょさ》を真似れば必ず逆上するに相違ない。聞くところによればユーゴーは快走船《ヨット》の上へ寝転《ねころ》んで文章の趣向を考えたそうだから、船へ乗って青空を見つめていれば必ず逆上|受合《うけあい》である。スチーヴンソンは腹這《はらばい》に寝て小説を書いたそうだから、打《う》つ伏《ぷ》しになって筆を持てばきっと血が逆《さ》かさに上《のぼ》ってくる。かようにいろいろな人がいろいろの事を考え出したが、まだ誰も成功しない。まず今日《こんにち》のところでは人為的逆上は不可能の事となっている。残念だが致し方がない。早晩随意にインスピレーションを起し得る時機の到来するは疑《うたがい》もない事で、吾輩は人文のためにこの時機の一日も早く来らん事を切望するのである。
 逆上の説明はこのくらいで充分だろうと思うから、これよりいよいよ事件に取りかかる。しかしすべての大事件の前には必ず小事件が起るものだ。大事件のみを述べて、小事件を逸するのは古来から歴史家の常に陥《おちい》る弊竇《へいとう》である。主人の逆上も小事件に逢う度に一層の劇甚《げきじん》を加えて、ついに大事件を引き起したのであるからして、幾分かその発達を順序立てて述べないと主人がいかに逆上しているか分りにくい。分りにくいと主人の逆上は空名に帰して、世間からはよもやそれほどでもなかろうと見くびられるかも知れない。せっかく逆上しても人から天晴《あっぱれ》な逆上と謡《うた》われなくては張り合がないだろう。これから述べる事件は大小に係《かかわ》らず主人に取って名誉な者ではない。事件その物が不名誉であるならば、責《せ》めて逆上なりとも、正銘《しょうめい》の逆上であって、決して人に劣るものでないと云う事を明かにしておきたい。主人は他に対して別にこれと云って誇るに足る性質を有しておらん。逆上でも自慢しなくてはほかに骨を折って書き立ててやる種がない。
 落雲館に群がる敵軍は近日に至って一種のダムダム弾を発明して、十分《じっぷん》の休暇、もしくは放課後に至って熾《さかん》に北側の空地《あきち》に向って砲火を浴びせかける。このダムダム弾は通称をボールと称《とな》えて、擂粉木《すりこぎ》の大きな奴をもって任意これを敵中に発射する仕掛である。いくらダムダムだって落雲館の運動場から発射するのだから、書斎に立て籠《こも》ってる主人に中《あた》る気遣《きづかい》はない。敵といえども弾道のあまり遠過ぎるのを自覚せん事はないのだけれど、そこが軍略である。旅順の戦争にも海軍から間接射撃を行って偉大な功を奏したと云う話であれば、空地へころがり落つるボールといえども相当の功果を収め得ぬ事はない。いわんや一発を送る度《たび》に総軍力を合せてわーと威嚇性《いかくせい》大音声《だいおんじょう》を出《いだ》すにおいてをやである。主人は恐縮の結果として手足に通う血管が収縮せざるを得ない。煩悶《はんもん》の極《きょく》そこいらを迷付《まごつ》いている血が逆《さか》さに上《のぼ》るはずである。敵の計《はかりごと》はなかなか巧妙と云うてよろしい。昔《むか》し希臘《ギリシャ》にイスキラスと云う作家があったそうだ。この男は学者作家に共通なる頭を有していたと云う。吾輩のいわゆる学者作家に共通なる頭とは禿《はげ》と云う意味である。なぜ頭が禿げるかと云えば頭の営養不足で毛が生長するほど活気がないからに相違ない。学者作家はもっとも多く頭を使うものであって大概は貧乏に極《きま》っている。だから学者作家の頭はみんな営養不足でみんな禿げている。さてイスキラスも作家であるから自然の勢《いきおい》禿げなくてはならん。彼はつるつる然たる金柑頭《きんかんあたま》を有しておった。ところがある日の事、先生例の頭――頭に外行《よそゆき》も普段着《ふだんぎ》もないから例の頭に極ってるが――その例の頭を振り立て振り立て、太陽に照らしつけて往来をあるいていた。これが間違いのもとである。禿げ頭を日にあてて遠方から見ると、大変よく光るものだ。高い木には風があたる、光かる頭にも何かあたらなくてはならん。この時イスキラスの頭の上に一羽の鷲《わし》が舞っていたが、見るとどこかで生捕《いけど》った一|疋《ぴき》の亀を爪の先に攫《つか》んだままである。亀、スッポンなどは美味に相違ないが、希臘時代から堅い甲羅《こうら》をつけている。いくら美味でも甲羅つきではどうする事も出来ん。海老《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》はあるが亀の子の甲羅煮は今でさえないくらいだから、当時は無論なかったに極っている。さすがの鷲《わし》も少々持て余した折柄《おりから》、遥《はる》かの下界にぴかと光った者がある。その時鷲はしめたと思った。あの光ったものの上へ亀の子を落したなら、甲羅は正《まさ》しく砕けるに極《き》わまった。砕けたあとから舞い下りて中味《なかみ》を頂戴《ちょうだい》すれば訳はない。そうだそうだと覗《ねらい》を定めて、かの亀の子を高い所から挨拶も無く頭の上へ落した。生憎《あいにく》作家の頭の方が亀の甲より軟らかであったものだから、禿はめちゃめちゃに砕けて有名なるイスキラスはここに無惨《むざん》の最後を遂げた。それはそうと、解《げ》しかねるのは鷲の了見である。例の頭を、作家の頭と知って落したのか、または禿岩と間違えて落したものか、解決しよう次第で、落雲館の敵とこの鷲とを比較する事も出来るし、また出来なくもなる。主人の頭はイスキラスのそれのごとく、また御歴々《おれきれき》の学者のごとくぴかぴか光ってはおらん。しかし六畳敷にせよいやしくも書斎と号する一室を控《ひか》えて、居眠りをしながらも、むずかしい書物の上へ顔を翳《かざ》す以上は、学者作家の同類と見傚《みな》さなければならん。そうすると主人の頭の禿げておらんのは、まだ禿げるべき資格がないからで、その内に禿げるだろうとは近々《きんきん》この頭の上に落ちかかるべき運命であろう。して見れば落雲館の生徒がこの頭を目懸けて例のダムダム丸《がん》を集注するのは策のもっとも時宜《じぎ》に適したものと云わねばならん。もし敵がこの行動を二週間継続するならば、主人の頭は畏怖《いふ》と煩悶《はんもん》のため必ず営養の不足を訴えて、金柑《きんかん》とも薬缶《やかん》とも銅壺《どうこ》とも変化するだろう。なお二週間の砲撃を食《くら》えば金柑は潰《つぶ》れるに相違ない。薬缶は洩《も》るに相違ない。銅壺ならひびが入るにきまっている。この睹易《みやす》き結果を予想せんで、あくまでも敵と戦闘を継続しようと苦心するのは、ただ本人たる苦沙弥先生のみである。
 ある日の午後、吾輩は例のごとく椽側《えんがわ》へ出て午睡《ひるね》をして虎になった夢を見ていた。主人に鶏肉《けいにく》を持って来いと云うと、主人がへえと恐る恐る鶏肉を持って出る。迷亭が来たから、迷亭に雁《がん》が食いたい、雁鍋《がんなべ》へ行って誂《あつ》らえて来いと云うと、蕪《かぶ》の香《こう》の物《もの》と、塩煎餅《しおせんべい》といっしょに召し上がりますと雁の味が致しますと例のごとく茶羅《ちゃら》ッ鉾《ぽこ》を云うから、大きな口をあいて、うーと唸《うな》って嚇《おどか》してやったら、迷亭は蒼《あお》くなって山下《やました》の雁鍋は廃業致しましたがいかが取り計《はから》いましょうかと云った。それなら牛肉で勘弁するから早く西川へ行ってロースを一斤取って来い、早くせんと貴様から食い殺すぞと云ったら、迷亭は尻を端折《はしょ》って馳《か》け出した。吾輩は急にからだが大きくなったので、椽側一杯に寝そべって、迷亭の帰るのを待ち受けていると、たちまち家中《うちじゅう》に響く大きな声がしてせっかくの牛《ぎゅう》も食わぬ間《ま》に夢がさめて吾に帰った。すると今まで恐る恐る吾輩の前に平伏していたと思いのほかの主人が、いきなり後架《こうか》から飛び出して来て、吾輩の横腹をいやと云うほど蹴《け》たから、おやと思ううち、たちまち庭下駄をつっかけて木戸から廻って、落雲館の方へかけて行く。吾輩は虎から急に猫と収縮したのだから何となく極《きま》りが悪くもあり、おかしくもあったが、主人のこの権幕と横腹を蹴られた痛さとで、虎の事はすぐ忘れてしまった。同時に主人がいよいよ出馬して敵と交戦するな面白いわいと、痛いのを我慢して、後《あと》を慕って裏口へ出た。同時に主人がぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]と怒鳴る声が聞える、見ると制帽をつけた十八九になる倔強《くっきょう》な奴が一人、四ツ目垣を向うへ乗り越えつつある。やあ遅かったと思ううち、彼《か》の制帽は馳け足の姿勢をとって根拠地の方へ韋駄天《いだてん》のごとく逃げて行く。主人はぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]が大《おおい》に成功したので、またもぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]と高く叫びながら追いかけて行く。しかしかの敵に追いつくためには主人の方で垣を越さなければならん。深入りをすれば主人|自《みずか》らが泥棒になるはずである。前《ぜん》申す通り主人は立派なる逆上家である。こう勢《いきおい》に乗じてぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]を追い懸ける以上は、夫子《ふうし》自身がぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]に成っても追い懸けるつもりと見えて、引き返す気色《けしき》もなく垣の根元まで進んだ。今一歩で彼はぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]の領分に入《はい》らなければならんと云う間際《まぎわ》に、敵軍の中から、薄い髯《ひげ》を勢なく生《は》やした将官がのこのこと出馬して来た。両人《ふたり》は垣を境に何か談判している。聞いて見るとこんなつまらない議論である。
「あれは本校の生徒です」
「生徒たるべきものが、何で他《ひと》の邸内へ侵入するのですか」
「いやボールがつい飛んだものですから」
「なぜ断って、取りに来ないのですか」
「これから善《よ》く注意します」
「そんなら、よろしい」
 竜騰虎闘《りゅうとうことう》の壮観があるだろうと予期した交渉はかくのごとく散文的なる談判をもって無事に迅速に結了した。主人の壮《さか》んなるはただ意気込みだけである。いざとなると、いつでもこれでおしまいだ。あたかも吾輩が虎の夢から急に猫に返ったような観がある。吾輩の小事件と云うのは即《すなわ》ちこれである。小事件を記述したあとには、順序として是非大事件を話さなければならん。
 主人は座敷の障子を開いて腹這《はらばい》になって、何か思案している。恐らく敵に対して防禦策《ぼうぎょさく》を講じているのだろう。落雲館は授業中と見えて、運動場は存外静かである。ただ校舎の一室で、倫理の講義をしているのが手に取るように聞える。朗々たる音声でなかなかうまく述べ立てているのを聴くと、全く昨日《きのう》敵中から出馬して談判の衝《しょう》に当った将軍である。
「……で公徳と云うものは大切な事で、あちらへ行って見ると、仏蘭西《フランス》でも独逸《ドイツ》でも英吉利《イギリス》でも、どこへ行っても、この公徳の行われておらん国はない。またどんな下等な者でもこの公徳を重んぜぬ者はない。悲しいかな、我が日本に在《あ》っては、未《ま》だこの点において外国と拮抗《きっこう》する事が出来んのである。で公徳と申すと何か新しく外国から輸入して来たように考える諸君もあるかも知れんが、そう思うのは大《だい》なる誤りで、昔人《せきじん》も夫子《ふうし》の道一《みちいつ》以《もっ》て之《これ》を貫《つらぬ》く、忠恕《ちゅうじょ》のみ矣《い》と云われた事がある。この恕《じょ》と申すのが取りも直さず公徳の出所《しゅっしょ》である。私も人間であるから時には大きな声をして歌などうたって見たくなる事がある。しかし私が勉強している時に隣室のものなどが放歌するのを聴くと、どうしても書物の読めぬのが私の性分である。であるからして自分が唐詩選《とうしせん》でも高声《こうせい》に吟じたら気分が晴々《せいせい》してよかろうと思う時ですら、もし自分のように迷惑がる人が隣家に住んでおって、知らず知らずその人の邪魔をするような事があってはすまんと思うて、そう云う時はいつでも控《ひか》えるのである。こう云う訳だから諸君もなるべく公徳を守って、いやしくも人の妨害になると思う事は決してやってはならんのである。……」
 主人は耳を傾けて、この講話を謹聴していたが、ここに至ってにやりと笑った。ちょっとこのにやり[#「にやり」に傍点]の意味を説明する必要がある。皮肉家がこれをよんだらこのにやり[#「にやり」に傍点]の裏《うち》には冷評的分子が交っていると思うだろう。しかし主人は決して、そんな人の悪い男ではない。悪いと云うよりそんなに智慧《ちえ》の発達した男ではない。主人はなぜ笑ったかと云うと全く嬉しくって笑ったのである。倫理の教師たる者がかように痛切なる訓戒を与えるからはこの後《のち》は永久ダムダム弾の乱射を免《まぬ》がれるに相違ない。当分のうち頭も禿げずにすむ、逆上は一時に直らんでも時機さえくれば漸次《ぜんじ》回復するだろう、濡《ぬ》れ手拭《てぬぐい》を頂いて、炬燵《こたつ》にあたらなくとも、樹下石上を宿《やど》としなくとも大丈夫だろうと鑑定したから、にやにやと笑ったのである。借金は必ず返す者と二十世紀の今日《こんにち》にもやはり正直に考えるほどの主人がこの講話を真面目に聞くのは当然であろう。
 やがて時間が来たと見えて、講話はぱたりとやんだ。他の教室の課業も皆一度に終った。すると今まで室内に密封された八百の同勢は鬨《とき》の声をあげて、建物を飛び出した。その勢《いきおい》と云うものは、一尺ほどな蜂《はち》の巣を敲《たた》き落したごとくである。ぶんぶん、わんわん云うて窓から、戸口から、開きから、いやしくも穴の開《あ》いている所なら何の容赦もなく我勝ちに飛び出した。これが大事件の発端である。
 まず蜂の陣立てから説明する。こんな戦争に陣立ても何もあるものかと云うのは間違っている。普通の人は戦争とさえ云えば沙河《しゃか》とか奉天《ほうてん》とかまた旅順《りょじゅん》とかそのほかに戦争はないもののごとくに考えている。少し詩がかった野蛮人になると、アキリスがヘクトーの死骸を引きずって、トロイの城壁を三匝《さんそう》したとか、燕《えん》ぴと張飛が長坂橋《ちょうはんきょう》に丈八《じょうはち》の蛇矛《だぼう》を横《よこた》えて、曹操《そうそう》の軍百万人を睨《にら》め返したとか大袈裟《おおげさ》な事ばかり連想する。連想は当人の随意だがそれ以外の戦争はないものと心得るのは不都合だ。太古蒙昧《たいこもうまい》の時代に在《あ》ってこそ、そんな馬鹿気た戦争も行われたかも知れん、しかし太平の今日《こんにち》、大日本国帝都の中心においてかくのごとき野蛮的行動はあり得べからざる奇蹟に属している。いかに騒動が持ち上がっても交番の焼打以上に出る気遣《きづかい》はない。して見ると臥竜窟《がりょうくつ》主人の苦沙弥先生と落雲館|裏《り》八百の健児との戦争は、まず東京市あって以来の大戦争の一として数えてもしかるべきものだ。左氏《さし》が※[#「焉+おおざと」、第3水準1-92-78]陵《えんりょう》の戦《たたかい》を記するに当ってもまず敵の陣勢から述べている。古来から叙述に巧みなるものは皆この筆法を用いるのが通則になっている。だによって吾輩が蜂の陣立てを話すのも仔細《しさい》なかろう。それでまず蜂の陣立ていかんと見てあると、四つ目垣の外側に縦列を形《かた》ちづくった一隊がある。これは主人を戦闘線内に誘致する職務を帯びた者と見える。「降参しねえか」「しねえしねえ」「駄目だ駄目だ」「出てこねえ」「落ちねえかな」「落ちねえはずはねえ」「吠えて見ろ」「わんわん」「わんわん」「わんわんわんわん」これから先は縦隊総がかりとなって吶喊《とっかん》の声を揚げる。縦隊を少し右へ離れて運動場の方面には砲隊が形勝の地を占めて陣地を布《し》いている。臥竜窟《がりょうくつ》に面して一人の将官が擂粉木《すりこぎ》の大きな奴を持って控《ひか》える。これと相対して五六間の間隔をとってまた一人立つ、擂粉木のあとにまた一人、これは臥竜窟に顔をむけて突っ立っている。かくのごとく一直線にならんで向い合っているのが砲手である。ある人の説によるとこれはベースボールの練習であって、決して戦闘準備ではないそうだ。吾輩はベースボールの何物たるを解せぬ文盲漢《もんもうかん》である。しかし聞くところによればこれは米国から輸入された遊戯で、今日《こんにち》中学程度以上の学校に行わるる運動のうちでもっとも流行するものだそうだ。米国は突飛《とっぴ》な事ばかり考え出す国柄であるから、砲隊と間違えてもしかるべき、近所迷惑の遊戯を日本人に教うべくだけそれだけ親切であったかも知れない。また米国人はこれをもって真に一種の運動遊戯と心得ているのだろう。しかし純粋の遊戯でもかように四隣を驚かすに足る能力を有している以上は使いようで砲撃の用には充分立つ。吾輩の眼をもって観察したところでは、彼等はこの運動術を利用して砲火の功を収めんと企てつつあるとしか思われない。物は云いようでどうでもなるものだ。慈善の名を借りて詐偽《さぎ》を働らき、インスピレーションと号して逆上をうれしがる者がある以上はベースボールなる遊戯の下《もと》に戦争をなさんとも限らない。或る人の説明は世間一般のベースボールの事であろう。今吾輩が記述するベースボールはこの特別の場合に限らるるベースボール即《すなわ》ち攻城的砲術である。これからダムダム弾を発射する方法を紹介する。直線に布《し》かれたる砲列の中の一人が、ダムダム弾を右の手に握って擂粉木の所有者に抛《ほう》りつける。ダムダム弾は何で製造したか局外者には分らない。堅い丸い石の団子のようなものを御鄭寧《ごていねい》に皮でくるんで縫い合せたものである。前《ぜん》申す通りこの弾丸が砲手の一人の手中を離れて、風を切って飛んで行くと、向うに立った一人が例の擂粉木をやっと振り上げて、これを敲《たた》き返す。たまには敲き損《そこ》なった弾丸が流れてしまう事もあるが、大概はポカンと大きな音を立てて弾《は》ね返る。その勢は非常に猛烈なものである。神経性胃弱なる主人の頭を潰《つぶ》すくらいは容易に出来る。砲手はこれだけで事足るのだが、その周囲附近には弥次馬《やじうま》兼援兵が雲霞《うんか》のごとく付き添うている。ポカーンと擂粉木が団子に中《あた》るや否やわー、ぱちぱちぱちと、わめく、手を拍《う》つ、やれやれと云う。中《あた》ったろうと云う。これでも利《き》かねえかと云う。恐れ入らねえかと云う。降参かと云う。これだけならまだしもであるが、敲《たた》き返された弾丸は三度に一度必ず臥竜窟邸内へころがり込む。これがころがり込まなければ攻撃の目的は達せられんのである。ダムダム弾は近来諸所で製造するが随分高価なものであるから、いかに戦争でもそう充分な供給を仰ぐ訳に行かん。大抵一隊の砲手に一つもしくは二つの割である。ポンと鳴る度にこの貴重な弾丸を消費する訳には行かん。そこで彼等はたま拾《ひろい》と称する一部隊を設けて落弾《おちだま》を拾ってくる。落ち場所がよければ拾うのに骨も折れないが、草原とか人の邸内へ飛び込むとそう容易《たやす》くは戻って来ない。だから平生ならなるべく労力を避けるため、拾い易《やす》い所へ打ち落すはずであるが、この際は反対に出る。目的が遊戯にあるのではない、戦争に存するのだから、わざとダムダム弾を主人の邸内に降らせる。邸内に降らせる以上は、邸内へ這入《はい》って拾わなければならん。邸内に這入るもっとも簡便な方法は四つ目垣を越えるにある。四つ目垣のうちで騒動すれば主人が怒《おこ》り出さなければならん。しからずんば兜《かぶと》を脱いで降参しなければならん。苦心のあまり頭がだんだん禿げて来なければならん。
 今しも敵軍から打ち出した一弾は、照準《しょうじゅん》誤《あやま》たず、四つ目垣を通り越して桐《きり》の下葉を振い落して、第二の城壁|即《すなわ》ち竹垣に命中した。随分大きな音である。ニュートンの運動律第一に曰《いわ》くもし他の力を加うるにあらざれば、一度《ひとた》び動き出したる物体は均一の速度をもって直線に動くものとす。もしこの律のみによって物体の運動が支配せらるるならば主人の頭はこの時にイスキラスと運命を同じくしたであろう。幸《さいわい》にしてニュートンは第一則を定むると同時に第二則も製造してくれたので主人の頭は危うきうちに一命を取りとめた。運動の第二則に曰く運動の変化は、加えられたる力に比例す、しかしてその力の働く直線の方向において起るものとす。これは何の事だか少しくわかり兼ねるが、かのダムダム弾が竹垣を突き通して、障子《しょうじ》を裂き破って主人の頭を破壊しなかったところをもって見ると、ニュートンの御蔭《おかげ》に相違ない。しばらくすると案のごとく敵は邸内に乗り込んで来たものと覚しく、「ここか」「もっと左の方か」などと棒でもって笹《ささ》の葉を敲き廻わる音がする。すべて敵が主人の邸内へ乗り込んでダムダム弾を拾う場合には必ず特別な大きな声を出す。こっそり這入って、こっそり拾っては肝心《かんじん》の目的が達せられん。ダムダム弾は貴重かも知れないが、主人にからかうのはダムダム弾以上に大事である。この時のごときは遠くから弾の所在地は判然している。竹垣に中《あた》った音も知っている。中った場所も分っている、しかしてその落ちた地面も心得ている。だからおとなしくして拾えば、いくらでもおとなしく拾える。ライプニッツの定義によると空間は出来得べき同在現象の秩序である。いろはにほへと[#「いろはにほへと」に傍点]はいつでも同じ順にあらわれてくる。柳の下には必ず鰌《どじょう》がいる。蝙蝠《こうもり》に夕月はつきものである。垣根にボールは不似合かも知れぬ。しかし毎日毎日ボールを人の邸内に抛《ほう》り込む者の眼に映ずる空間はたしかにこの排列に慣《な》れている。一眼《ひとめ》見ればすぐ分る訳だ。それをかくのごとく騒ぎ立てるのは必竟《ひっきょう》ずるに主人に戦争を挑《いど》む策略である。
 こうなってはいかに消極的なる主人といえども応戦しなければならん。さっき座敷のうちから倫理の講義をきいてにやにやしていた主人は奮然として立ち上がった。猛然として馳《か》け出した。驀然《ばくぜん》として敵の一人を生捕《いけど》った。主人にしては大出来である。大出来には相違ないが、見ると十四五の小供である。髯《ひげ》の生《は》えている主人の敵として少し不似合だ。けれども主人はこれで沢山だと思ったのだろう。詫《わ》び入るのを無理に引っ張って椽側《えんがわ》の前まで連れて来た。ここにちょっと敵の策略について一言《いちげん》する必要がある、敵は主人が昨日《きのう》の権幕《けんまく》を見てこの様子では今日も必ず自身で出馬するに相違ないと察した。その時万一逃げ損じて大僧《おおぞう》がつらまっては事面倒になる。ここは一年生か二年生くらいな小供を玉拾いにやって危険を避けるに越した事はない。よし主人が小供をつらまえて愚図愚図《ぐずぐず》理窟《りくつ》を捏《こ》ね廻したって、落雲館の名誉には関係しない、こんなものを大人気《おとなげ》もなく相手にする主人の恥辱《ちじょく》になるばかりだ。敵の考はこうであった。これが普通の人間の考で至極《しごく》もっともなところである。ただ敵は相手が普通の人間でないと云う事を勘定のうちに入れるのを忘れたばかりである。主人にこれくらいの常識があれば昨日だって飛び出しはしない。逆上は普通の人間を、普通の人間の程度以上に釣るし上げて、常識のあるものに、非常識を与える者である。女だの、小供だの、車引きだの、馬子だのと、そんな見境《みさか》いのあるうちは、まだ逆上を以て人に誇るに足らん。主人のごとく相手にならぬ中学一年生を生捕《いけど》って戦争の人質とするほどの了見でなくては逆上家の仲間入りは出来ないのである。可哀《かわい》そうなのは捕虜である。単に上級生の命令によって玉拾いなる雑兵《ぞうひょう》の役を勤めたるところ、運わるく非常識の敵将、逆上の天才に追い詰められて、垣越える間《ま》もあらばこそ、庭前に引き据《す》えられた。こうなると敵軍は安閑と味方の恥辱を見ている訳に行かない。我も我もと四つ目垣を乗りこして木戸口から庭中に乱れ入る。その数は約一ダースばかり、ずらりと主人の前に並んだ。大抵は上衣《うわぎ》もちょっ着《き》もつけておらん。白シャツの腕をまくって、腕組をしたのがある。綿《めん》ネルの洗いざらしを申し訳に背中だけへ乗せているのがある。そうかと思うと白の帆木綿《ほもめん》に黒い縁《ふち》をとって胸の真中に花文字を、同じ色に縫いつけた洒落者《しゃれもの》もある。いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波《たんば》の国は笹山から昨夜着し立てでござると云わぬばかりに、黒く逞《たくま》しく筋肉が発達している。中学などへ入れて学問をさせるのは惜しいものだ。漁師《りょうし》か船頭にしたら定めし国家のためになるだろうと思われるくらいである。彼等は申し合せたごとく、素足に股引《ももひき》を高くまくって、近火の手伝にでも行きそうな風体《ふうてい》に見える。彼等は主人の前にならんだぎり黙然《もくねん》として一言《いちごん》も発しない。主人も口を開《ひら》かない。しばらくの間双方共|睨《にら》めくらをしているなかにちょっと殺気がある。
「貴様等はぬすっとう[#「ぬすっとう」に傍点]か」と主人は尋問した。大気※[#「諂のつくり+炎」、第3水準1-87-64]《だいきえん》である。奥歯で囓《か》み潰《つぶ》した癇癪玉《かんしゃくだま》が炎となって鼻の穴から抜けるので、小鼻が、いちじるしく怒《いか》って見える。越後獅子《えちごじし》の鼻は人間が怒《おこ》った時の恰好《かっこう》を形《かた》どって作ったものであろう。それでなくてはあんなに恐しく出来るものではない。
「いえ泥棒ではありません。落雲館の生徒です」
「うそをつけ。落雲館の生徒が無断で人の庭宅に侵入する奴があるか」
「しかしこの通りちゃんと学校の徽章《きしょう》のついている帽子を被《かぶ》っています」
「にせものだろう。落雲館の生徒ならなぜむやみに侵入した」
「ボールが飛び込んだものですから」
「なぜボールを飛び込ました」
「つい飛び込んだんです」
「怪《け》しからん奴だ」
「以後注意しますから、今度だけ許して下さい」
「どこの何者かわからん奴が垣を越えて邸内に闖入《ちんにゅう》するのを、そう容易《たやす》く許されると思うか」
「それでも落雲館の生徒に違ないんですから」
「落雲館の生徒なら何年生だ」
「三年生です」
「きっとそうか」
「ええ」
 主人は奥の方を顧《かえり》みながら、おいこらこらと云う。
 埼玉生れの御三《おさん》が襖《ふすま》をあけて、へえと顔を出す。
「落雲館へ行って誰か連れてこい」
「誰を連れて参ります」
「誰でもいいから連れてこい」
 下女は「へえ」と答えが、あまり庭前の光景が妙なのと、使の趣《おもむき》が判然しないのと、さっきからの事件の発展が馬鹿馬鹿しいので、立ちもせず、坐りもせずにやにや笑っている。主人はこれでも大戦争をしているつもりである。逆上的敏腕を大《おおい》に振《ふる》っているつもりである。しかるところ自分の召し使たる当然こっちの肩を持つべきものが、真面目な態度をもって事に臨まんのみか、用を言いつけるのを聞きながらにやにや笑っている。ますます逆上せざるを得ない。
「誰でも構わんから呼んで来いと云うのに、わからんか。校長でも幹事でも教頭でも……」
「あの校長さんを……」下女は校長と云う言葉だけしか知らないのである。
「校長でも、幹事でも教頭でもと云っているのにわからんか」
「誰もおりませんでしたら小使でもよろしゅうございますか」
「馬鹿を云え。小使などに何が分かるものか」
 ここに至って下女もやむを得んと心得たものか、「へえ」と云って出て行った。使の主意はやはり飲み込めんのである。小使でも引張って来はせんかと心配していると、あに計らんや例の倫理の先生が表門から乗り込んで来た。平然と座に就《つ》くを待ち受けた主人は直ちに談判にとりかかる。
「ただ今邸内にこの者共が乱入致して……」と忠臣蔵のような古風な言葉を使ったが「本当に御校《おんこう》の生徒でしょうか」と少々皮肉に語尾を切った。
 倫理の先生は別段驚いた様子もなく、平気で庭前にならんでいる勇士を一通り見廻わした上、もとのごとく瞳《ひとみ》を主人の方にかえして、下《しも》のごとく答えた。
「さようみんな学校の生徒であります。こんな事のないように始終訓戒を加えておきますが……どうも困ったもので……なぜ君等は垣などを乗り越すのか」
 さすがに生徒は生徒である、倫理の先生に向っては一言《いちごん》もないと見えて何とも云うものはない。おとなしく庭の隅にかたまって羊の群《むれ》が雪に逢ったように控《ひか》えている。
「丸《たま》が這入《はい》るのも仕方がないでしょう。こうして学校の隣りに住んでいる以上は、時々はボールも飛んで来ましょう。しかし……あまり乱暴ですからな。仮令《たとい》垣を乗り越えるにしても知れないないように、そっと拾って行くなら、まだ勘弁のしようもありますが……」
「ごもっともで、よく注意は致しますが何分|多人数《たにんず》の事で……よくこれから注意をせんといかんぜ。もしボールが飛んだら表から廻って、御断りをして取らなければいかん。いいか。――広い学校の事ですからどうも世話ばかりやけて仕方がないです。で運動は教育上必要なものでありますから、どうもこれを禁ずる訳には参りかねるので。これを許すとつい御迷惑になるような事が出来ますが、これは是非御容赦を願いたいと思います。その代り向後《こうご》はきっと表門から廻って御断りを致した上で取らせますから」
「いや、そう事が分かればよろしいです。球《たま》はいくら御投げになっても差支《さしつか》えはないです。表からきてちょっと断わって下されば構いません。ではこの生徒はあなたに御引き渡し申しますからお連れ帰りを願います。いやわざわざ御呼び立て申して恐縮です」と主人は例によって例のごとく竜頭蛇尾《りゅうとうだび》の挨拶をする。倫理の先生は丹波の笹山を連れて表門から落雲館へ引き上げる。吾輩のいわゆる大事件はこれで一とまず落着を告げた。何のそれが大事件かと笑うなら、笑うがいい。そんな人には大事件でないまでだ。吾輩は主人の[#「主人の」に傍点]大事件を写したので、そんな人の[#「そんな人の」に傍点]大事件を記《しる》したのではない。尻が切れて強弩《きょうど》の末勢《ばっせい》だなどと悪口するものがあるなら、これが主人の特色である事を記憶して貰いたい。主人が滑稽文の材料になるのもまたこの特色に存する事を記憶して貰いたい。十四五の小供を相手にするのは馬鹿だと云うなら吾輩も馬鹿に相違ないと同意する。だから大町桂月は主人をつらまえて未《いま》だ稚気《ちき》を免がれずと云うている。
 吾輩はすでに小事件を叙し了《おわ》り、今また大事件を述べ了ったから、これより大事件の後《あと》に起る余瀾《よらん》を描《えが》き出だして、全篇の結びを付けるつもりである。すべて吾輩のかく事は、口から出任《でまか》せのいい加減と思う読者もあるかも知れないが決してそんな軽率な猫ではない。一字一句の裏《うち》に宇宙の一大哲理を包含するは無論の事、その一字一句が層々《そうそう》連続すると首尾相応じ前後相照らして、瑣談繊話《さだんせんわ》と思ってうっかりと読んでいたものが忽然《こつぜん》豹変《ひょうへん》して容易ならざる法語となるんだから、決して寝ころんだり、足を出して五行ごとに一度に読むのだなどと云う無礼を演じてはいけない。柳宗元《りゅうそうげん》は韓退之《かんたいし》の文を読むごとに薔薇《しょうび》の水《みず》で手を清めたと云うくらいだから、吾輩の文に対してもせめて自腹《じばら》で雑誌を買って来て、友人の御余りを借りて間に合わすと云う不始末だけはない事に致したい。これから述べるのは、吾輩|自《みずか》ら余瀾と号するのだけれど、余瀾ならどうせつまらんに極《きま》っている、読まんでもよかろうなどと思うと飛んだ後悔をする。是非しまいまで精読しなくてはいかん。
 大事件のあった翌日、吾輩はちょっと散歩がしたくなったから表へ出た。すると向う横町へ曲がろうと云う角で金田の旦那と鈴木の藤《とう》さんがしきりに立ちながら話をしている。金田君は車で自宅《うち》へ帰るところ、鈴木君は金田君の留守を訪問して引き返す途中で両人《ふたり》がばったりと出逢ったのである。近来は金田の邸内も珍らしくなくなったから、滅多《めった》にあちらの方角へは足が向かなかったが、こう御目に懸って見ると、何となく御懐《おなつ》かしい。鈴木にも久々《ひさびさ》だから余所《よそ》ながら拝顔の栄を得ておこう。こう決心してのそのそ御両君の佇立《ちょりつ》しておらるる傍《そば》近く歩み寄って見ると、自然両君の談話が耳に入《い》る。これは吾輩の罪ではない。先方が話しているのがわるいのだ。金田君は探偵さえ付けて主人の動静を窺《うか》がうくらいの程度の良心を有している男だから、吾輩が偶然君の談話を拝聴したって怒《おこ》らるる気遣《きづかい》はあるまい。もし怒られたら君は公平と云う意味を御承知ないのである。とにかく吾輩は両君の談話を聞いたのである。聞きたくて聴いたのではない。聞きたくもないのに談話の方で吾輩の耳の中へ飛び込んで来たのである。
「只今御宅へ伺いましたところで、ちょうどよい所で御目にかかりました」と藤《とう》さんは鄭寧《ていねい》に頭をぴょこつかせる。
「うむ、そうかえ。実はこないだから、君にちょっと逢いたいと思っていたがね。それはよかった」
「へえ、それは好都合でございました。何かご用で」
「いや何、大した事でもないのさ。どうでもいいんだが、君でないと出来ない事なんだ」
「私に出来る事なら何でもやりましょう。どんな事で」
「ええ、そう……」と考えている。
「何なら、御都合のとき出直して伺いましょう。いつが宜《よろ》しゅう、ございますか」
「なあに、そんな大した事じゃ無いのさ。――それじゃせっかくだから頼もうか」
「どうか御遠慮なく……」
「あの変人ね。そら君の旧友さ。苦沙弥とか何とか云うじゃないか」
「ええ苦沙弥がどうかしましたか」
「いえ、どうもせんがね。あの事件以来|胸糞《むなくそ》がわるくってね」
「ごもっともで、全く苦沙弥は剛慢ですから……少しは自分の社会上の地位を考えているといいのですけれども、まるで一人天下ですから」
「そこさ。金に頭はさげん、実業家なんぞ――とか何とか、いろいろ小生意気な事を云うから、そんなら実業家の腕前を見せてやろう、と思ってね。こないだから大分《だいぶ》弱らしているんだが、やっぱり頑張《がんば》っているんだ。どうも剛情な奴だ。驚ろいたよ」
「どうも損得と云う観念の乏《とぼ》しい奴ですから無暗《むやみ》に痩我慢を張るんでしょう。昔からああ云う癖のある男で、つまり自分の損になる事に気が付かないんですから度《ど》し難《がた》いです」
「あはははほんとに度《ど》し難《がた》い。いろいろ手を易《か》え品を易《か》えてやって見るんだがね。とうとうしまいに学校の生徒にやらした」
「そいつは妙案ですな。利目《ききめ》がございましたか」
「これにゃあ、奴も大分《だいぶ》困ったようだ。もう遠からず落城するに極《きま》っている」
「そりゃ結構です。いくら威張っても多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》ですからな」
「そうさ、一人じゃあ仕方がねえ。それで大分《だいぶ》弱ったようだが、まあどんな様子か君に行って見て来てもらおうと云うのさ」
「はあ、そうですか。なに訳はありません。すぐ行って見ましょう。容子《ようす》は帰りがけに御報知を致す事にして。面白いでしょう、あの頑固《がんこ》なのが意気銷沈《いきしょうちん》しているところは、きっと見物《みもの》ですよ」
「ああ、それじゃ帰りに御寄り、待っているから」
「それでは御免蒙《ごめんこうむ》ります」
 おや今度もまた魂胆《こんたん》だ、なるほど実業家の勢力はえらいものだ、石炭の燃殻《もえがら》のような主人を逆上させるのも、苦悶《くもん》の結果主人の頭が蠅滑《はえすべ》りの難所となるのも、その頭がイスキラスと同様の運命に陥《おちい》るのも皆実業家の勢力である。地球が地軸を廻転するのは何の作用かわからないが、世の中を動かすものはたしかに金である。この金の功力《くりき》を心得て、この金の威光を自由に発揮するものは実業家諸君をおいてほかに一人もない。太陽が無事に東から出て、無事に西へ入るのも全く実業家の御蔭である。今まではわからずやの窮措大《きゅうそだい》の家に養なわれて実業家の御利益《ごりやく》を知らなかったのは、我ながら不覚である。それにしても冥頑不霊《めいがんふれい》の主人も今度は少し悟らずばなるまい。これでも冥頑不霊で押し通す了見だと危《あぶ》ない。主人のもっとも貴重する命があぶない。彼は鈴木君に逢ってどんな挨拶をするのか知らん。その模様で彼の悟り具合も自《おのず》から分明《ぶんみょう》になる。愚図愚図してはおられん、猫だって主人の事だから大《おおい》に心配になる。早々鈴木君をすり抜けて御先へ帰宅する。
 鈴木君はあいかわらず調子のいい男である。今日は金田の事などはおくびにも出さない、しきりに当り障《さわ》りのない世間話を面白そうにしている。
「君少し顔色が悪いようだぜ、どうかしやせんか」
「別にどこも何ともないさ」
「でも蒼《あお》いぜ、用心せんといかんよ。時候がわるいからね。よるは安眠が出来るかね」
「うん」
「何か心配でもありゃしないか、僕に出来る事なら何でもするぜ。遠慮なく云い給え」
「心配って、何を?」
「いえ、なければいいが、もしあればと云う事さ。心配が一番毒だからな。世の中は笑って面白く暮すのが得だよ。どうも君はあまり陰気過ぎるようだ」
「笑うのも毒だからな。無暗に笑うと死ぬ事があるぜ」
「冗談《じょうだん》云っちゃいけない。笑う門《かど》には福|来《きた》るさ」
「昔《むか》し希臘《ギリシャ》にクリシッパスと云う哲学者があったが、君は知るまい」
「知らない。それがどうしたのさ」
「その男が笑い過ぎて死んだんだ」
「へえー、そいつは不思議だね、しかしそりゃ昔の事だから……」
「昔しだって今だって変りがあるものか。驢馬《ろば》が銀の丼《どんぶり》から無花果《いちじゅく》を食うのを見て、おかしくってたまらなくって無暗《むやみ》に笑ったんだ。ところがどうしても笑いがとまらない。とうとう笑い死にに死んだんだあね」
「はははしかしそんなに留《と》め度《ど》もなく笑わなくってもいいさ。少し笑う――適宜《てきぎ》に、――そうするといい心持ちだ」
 鈴木君がしきりに主人の動静を研究していると、表の門ががらがらとあく、客来《きゃくらい》かと思うとそうでない。
「ちょっとボールが這入《はい》りましたから、取らして下さい」
 下女は台所から「はい」と答える。書生は裏手へ廻る。鈴木は妙な顔をして何だいと聞く。
「裏の書生がボールを庭へ投げ込んだんだ」
「裏の書生? 裏に書生がいるのかい」
「落雲館と云う学校さ」
「ああそうか、学校か。随分騒々しいだろうね」
「騒々しいの何のって。碌々《ろくろく》勉強も出来やしない。僕が文部大臣なら早速閉鎖を命じてやる」
「ハハハ大分《だいぶ》怒《おこ》ったね。何か癪《しゃく》に障《さわ》る事でも有るのかい」
「あるのないのって、朝から晩まで癪に障り続けだ」
「そんなに癪に障るなら越せばいいじゃないか」
「誰が越すもんか、失敬千万な」
「僕に怒ったって仕方がない。なあに小供だあね、打《うっ》ちゃっておけばいいさ」
「君はよかろうが僕はよくない。昨日《きのう》は教師を呼びつけて談判してやった」
「それは面白かったね。恐れ入ったろう」
「うん」
 この時また門口《かどぐち》をあけて「ちょっとボールが這入《はい》りましたから取らして下さい」と云う声がする。
「いや大分《だいぶ》来るじゃないか、またボールだぜ君」
「うん、表から来るように契約したんだ」
「なるほどそれであんなにくるんだね。そうーか、分った」
「何が分ったんだい」
「なに、ボールを取りにくる源因がさ」
「今日はこれで十六返目だ」
「君うるさくないか。来ないようにしたらいいじゃないか」
「来ないようにするったって、来るから仕方がないさ」
「仕方がないと云えばそれまでだが、そう頑固《がんこ》にしていないでもよかろう。人間は角《かど》があると世の中を転《ころ》がって行くのが骨が折れて損だよ。丸いものはごろごろどこへでも苦《く》なしに行けるが四角なものはころがるに骨が折れるばかりじゃない、転がるたびに角がすれて痛いものだ。どうせ自分一人の世の中じゃなし、そう自分の思うように人はならないさ。まあ何だね。どうしても金のあるものに、たてを突いちゃ損だね。ただ神経ばかり痛めて、からだは悪くなる、人は褒《ほ》めてくれず。向うは平気なものさ。坐って人を使いさえすればすむんだから。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》どうせ、叶《かな》わないのは知れているさ。頑固もいいが、立て通すつもりでいるうちに、自分の勉強に障ったり、毎日の業務に煩《はん》を及ぼしたり、とどのつまりが骨折り損の草臥儲《くたびれもう》けだからね」
「ご免なさい。今ちょっとボールが飛びましたから、裏口へ廻って、取ってもいいですか」
「そらまた来たぜ」と鈴木君は笑っている。
「失敬な」と主人は真赤《まっか》になっている。
 鈴木君はもう大概訪問の意を果したと思ったから、それじゃ失敬ちと来《き》たまえと帰って行く。
 入れ代ってやって来たのが甘木《あまき》先生である。逆上家が自分で逆上家だと名乗る者は昔《むか》しから例が少ない、これは少々変だなと覚《さと》った時は逆上の峠《とうげ》はもう越している。主人の逆上は昨日《きのう》の大事件の際に最高度に達したのであるが、談判も竜頭蛇尾たるに係《かかわ》らず、どうかこうか始末がついたのでその晩書斎でつくづく考えて見ると少し変だと気が付いた。もっとも落雲館が変なのか、自分が変なのか疑《うたがい》を存する余地は充分あるが、何しろ変に違ない。いくら中学校の隣に居を構えたって、かくのごとく年が年中|肝癪《かんしゃく》を起しつづけはちと変だと気が付いた。変であって見ればどうかしなければならん。どうするったって仕方がない、やはり医者の薬でも飲んで肝癪《かんしゃく》の源《みなもと》に賄賂《わいろ》でも使って慰撫《いぶ》するよりほかに道はない。こう覚《さと》ったから平生かかりつけの甘木先生を迎えて診察を受けて見ようと云う量見を起したのである。賢か愚か、その辺は別問題として、とにかく自分の逆上に気が付いただけは殊勝《しゅしょう》の志、奇特《きどく》の心得と云わなければならん。甘木先生は例のごとくにこにこと落ちつき払って、「どうです」と云う。医者は大抵どうですと云うに極《き》まってる。吾輩は「どうです」と云わない医者はどうも信用をおく気にならん。
「先生どうも駄目ですよ」
「え、何そんな事があるものですか」
「一体医者の薬は利《き》くものでしょうか」
 甘木先生も驚ろいたが、そこは温厚の長者《ちょうじゃ》だから、別段激した様子もなく、
「利かん事もないです」と穏《おだや》かに答えた。
「私《わたし》の胃病なんか、いくら薬を飲んでも同じ事ですぜ」
「決して、そんな事はない」
「ないですかな。少しは善くなりますかな」と自分の胃の事を人に聞いて見る。
「そう急には、癒《なお》りません、だんだん利きます。今でももとより大分《だいぶ》よくなっています」
「そうですかな」
「やはり肝癪《かんしゃく》が起りますか」
「起りますとも、夢にまで肝癪を起します」
「運動でも、少しなさったらいいでしょう」
「運動すると、なお肝癪が起ります」
 甘木先生もあきれ返ったものと見えて、
「どれ一つ拝見しましょうか」と診察を始める。診察を終るのを待ちかねた主人は、突然大きな声を出して、
「先生、せんだって催眠術のかいてある本を読んだら、催眠術を応用して手癖のわるいんだの、いろいろな病気だのを直す事が出来ると書いてあったですが、本当でしょうか」と聞く。
「ええ、そう云う療法もあります」
「今でもやるんですか」
「ええ」
「催眠術をかけるのはむずかしいものでしょうか」
「なに訳はありません、私《わたし》などもよく懸けます」
「先生もやるんですか」
「ええ、一つやって見ましょうか。誰でも懸《かか》らなければならん理窟《りくつ》のものです。あなたさえ善《よ》ければ懸けて見ましょう」
「そいつは面白い、一つ懸けて下さい。私《わたし》もとうから懸かって見たいと思ったんです。しかし懸かりきりで眼が覚《さ》めないと困るな」
「なに大丈夫です。それじゃやりましょう」
 相談はたちまち一決して、主人はいよいよ催眠術を懸けらるる事となった。吾輩は今までこんな事を見た事がないから心ひそかに喜んでその結果を座敷の隅から拝見する。先生はまず、主人の眼からかけ始めた。その方法を見ていると、両眼《りょうがん》の上瞼《うわまぶた》を上から下へと撫《な》でて、主人がすでに眼を眠《ねむ》っているにも係《かかわ》らず、しきりに同じ方向へくせを付けたがっている。しばらくすると先生は主人に向って「こうやって、瞼《まぶた》を撫でていると、だんだん眼が重たくなるでしょう」と聞いた。主人は「なるほど重くなりますな」と答える。先生はなお同じように撫でおろし、撫でおろし「だんだん重くなりますよ、ようござんすか」と云う。主人もその気になったものか、何とも云わずに黙っている。同じ摩擦法はまた三四分繰り返される。最後に甘木先生は「さあもう開《あ》きませんぜ」と云われた。可哀想《かわいそう》に主人の眼はとうとう潰《つぶ》れてしまった。「もう開かんのですか」「ええもうあきません」主人は黙然《もくねん》として目を眠っている。吾輩は主人がもう盲目《めくら》になったものと思い込んでしまった。しばらくして先生は「あけるなら開いて御覧なさい。とうていあけないから」と云われる。「そうですか」と云うが早いか主人は普通の通り両眼《りょうがん》を開いていた。主人はにやにや笑いながら「懸かりませんな」と云うと甘木先生も同じく笑いながら「ええ、懸りません」と云う。催眠術はついに不成功に了《おわ》る。甘木先生も帰る。
 その次に来たのが――主人のうちへこのくらい客の来た事はない。交際の少ない主人の家にしてはまるで嘘《うそ》のようである。しかし来たに相違ない。しかも珍客が来た。吾輩がこの珍客の事を一言《いちごん》でも記述するのは単に珍客であるがためではない。吾輩は先刻申す通り大事件の余瀾《よらん》を描《えが》きつつある。しかしてこの珍客はこの余瀾を描くに方《あた》って逸すべからざる材料である。何と云う名前か知らん、ただ顔の長い上に、山羊《やぎ》のような髯《ひげ》を生《は》やしている四十前後の男と云えばよかろう。迷亭の美学者たるに対して、吾輩はこの男を哲学者と呼ぶつもりである。なぜ哲学者と云うと、何も迷亭のように自分で振り散らすからではない、ただ主人と対話する時の様子を拝見しているといかにも哲学者らしく思われるからである。これも昔《むか》しの同窓と見えて両人共《ふたりとも》応対振りは至極《しごく》打《う》ち解《と》けた有様だ。
「うん迷亭か、あれは池に浮いてる金魚麩《きんぎょふ》のようにふわふわしているね。せんだって友人を連れて一面識もない華族の門前を通行した時、ちょっと寄って茶でも飲んで行こうと云って引っ張り込んだそうだが随分|呑気《のんき》だね」
「それでどうしたい」
「どうしたか聞いても見なかったが、――そうさ、まあ天稟《てんぴん》の奇人だろう、その代り考も何もない全く金魚麩だ。鈴木か、――あれがくるのかい、へえー、あれは理窟《りくつ》はわからんが世間的には利口な男だ。金時計は下げられるたちだ。しかし奥行きがないから落ちつきがなくって駄目だ。円滑《えんかつ》円滑と云うが、円滑の意味も何もわかりはせんよ。迷亭が金魚麩ならあれは藁《わら》で括《くく》った蒟蒻《こんにゃく》だね。ただわるく滑《なめら》かでぶるぶる振《ふる》えているばかりだ」
 主人はこの奇警《きけい》な比喩《ひゆ》を聞いて、大《おおい》に感心したものらしく、久し振りでハハハと笑った。
「そんなら君は何だい」
「僕か、そうさな僕なんかは――まあ自然薯《じねんじょ》くらいなところだろう。長くなって泥の中に埋《うま》ってるさ」
「君は始終泰然として気楽なようだが、羨《うらや》ましいな」
「なに普通の人間と同じようにしているばかりさ。別に羨まれるに足るほどの事もない。ただありがたい事に人を羨む気も起らんから、それだけいいね」
「会計は近頃豊かかね」
「なに同じ事さ。足るや足らずさ。しかし食うているから大丈夫。驚かないよ」
「僕は不愉快で、肝癪《かんしゃく》が起ってたまらん。どっちを向いても不平ばかりだ」
「不平もいいさ。不平が起ったら起してしまえば当分はいい心持ちになれる。人間はいろいろだから、そう自分のように人にもなれと勧めたって、なれるものではない。箸《はし》は人と同じように持たんと飯が食いにくいが、自分の麺麭《パン》は自分の勝手に切るのが一番都合がいいようだ。上手《じょうず》な仕立屋で着物をこしらえれば、着たてから、からだに合ったのを持ってくるが、下手《へた》の裁縫屋《したてや》に誂《あつら》えたら当分は我慢しないと駄目さ。しかし世の中はうまくしたもので、着ているうちには洋服の方で、こちらの骨格に合わしてくれるから。今の世に合うように上等な両親が手際《てぎわ》よく生んでくれれば、それが幸福なのさ。しかし出来損《できそ》こなったら世の中に合わないで我慢するか、または世の中で合わせるまで辛抱するよりほかに道はなかろう」
「しかし僕なんか、いつまで立っても合いそうにないぜ、心細いね」
「あまり合わない背広《せびろ》を無理にきると綻《ほころ》びる。喧嘩《けんか》をしたり、自殺をしたり騒動が起るんだね。しかし君なんかただ面白くないと云うだけで自殺は無論しやせず、喧嘩だってやった事はあるまい。まあまあいい方だよ」
「ところが毎日喧嘩ばかりしているさ。相手が出て来なくっても怒っておれば喧嘩だろう」
「なるほど一人喧嘩《ひとりげんか》だ。面白いや、いくらでもやるがいい」
「それがいやになった」
「そんならよすさ」
「君の前だが自分の心がそんなに自由になるものじゃない」
「まあ全体何がそんなに不平なんだい」
 主人はここにおいて落雲館事件を始めとして、今戸焼《いまどやき》の狸《たぬき》から、ぴん助、きしゃごそのほかあらゆる不平を挙げて滔々《とうとう》と哲学者の前に述べ立てた。哲学者先生はだまって聞いていたが、ようやく口を開《ひら》いて、かように主人に説き出した。
「ぴん助やきしゃごが何を云ったって知らん顔をしておればいいじゃないか。どうせ下らんのだから。中学の生徒なんか構う価値があるものか。なに妨害になる。だって談判しても、喧嘩をしてもその妨害はとれんのじゃないか。僕はそう云う点になると西洋人より昔《むか》しの日本人の方がよほどえらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃|大分《だいぶ》流行《はや》るが、あれは大《だい》なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話しだ。いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境《さかい》にいけるものじゃない。向《むこう》に檜《ひのき》があるだろう。あれが目障《めざわ》りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪《しゃく》に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人の遣《や》り口《くち》はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭《ほうてい》へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまで焦《あせ》ったって片付く事があるものか。寡人政治《かじんせいじ》がいかんから、代議政体《だいぎせいたい》にする。代議政体がいかんから、また何かにしたくなる。川が生意気だって橋をかける、山が気に喰わんと云って隧道《トンネル》を堀る。交通が面倒だと云って鉄道を布《し》く。それで永久満足が出来るものじゃない。さればと云って人間だものどこまで積極的に我意を通す事が出来るものか。西洋の文明は積極的、進取的かも知れないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大《おおい》に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下《もと》に発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧洲人のようにこの関係を改良して落ちつきをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままでとうてい動かす事が出来んものとして、その関係の下《もと》に安心を求むる手段を講ずるにある。夫婦君臣の間柄もその通り、武士町人の区別もその通り、自然その物を観《み》るのもその通り。――山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家《ぜんけ》でも儒家《じゅか》でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日《らくじつ》を回《めぐ》らす事も、加茂川を逆《さか》に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、今戸焼の狸でも構わんでおられそうなものだ。ぴん助なんか愚《ぐ》な事を云ったらこの馬鹿野郎とすましておれば仔細《しさい》なかろう。何でも昔しの坊主は人に斬《き》り付けられた時|電光影裏《でんこうえいり》に春風《しゅんぷう》を斬るとか、何とか洒落《しゃ》れた事を云ったと云う話だぜ。心の修業がつんで消極の極に達するとこんな霊活な作用が出来るのじゃないかしらん。僕なんか、そんなむずかしい事は分らないが、とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤まっているようだ。現に君がいくら積極主義に働いたって、生徒が君をひやかしにくるのをどうする事も出来ないじゃないか。君の権力であの学校を閉鎖するか、または先方が警察に訴えるだけのわるい事をやれば格別だが、さもない以上は、どんなに積極的に出たったて勝てっこないよ。もし積極的に出るとすれば金の問題になる。多勢《たぜい》に無勢《ぶぜい》の問題になる。換言すると君が金持に頭を下げなければならんと云う事になる。衆を恃《たの》む小供に恐れ入らなければならんと云う事になる。君のような貧乏人でしかもたった一人で積極的に喧嘩をしようと云うのがそもそも君の不平の種さ。どうだい分ったかい」
 主人は分ったとも、分らないとも言わずに聞いていた。珍客が帰ったあとで書斎へ這入《はい》って書物も読まずに何か考えていた。
 鈴木の藤《とう》さんは金と衆とに従えと主人に教えたのである。甘木先生は催眠術で神経を沈めろと助言《じょごん》したのである。最後の珍客は消極的の修養で安心を得ろと説法したのである。主人がいずれを択《えら》ぶかは主人の随意である。ただこのままでは通されないに極《き》まっている。

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