2008年11月7日金曜日

 こう暑くては猫といえどもやり切れない。皮を脱いで、肉を脱いで骨だけで涼みたいものだと英吉利《イギリス》のシドニー・スミスとか云う人が苦しがったと云う話があるが、たとい骨だけにならなくとも好いから、せめてこの淡灰色の斑入《ふいり》の毛衣《けごろも》だけはちょっと洗い張りでもするか、もしくは当分の中《うち》質にでも入れたいような気がする。人間から見たら猫などは年が年中同じ顔をして、春夏秋冬一枚看板で押し通す、至って単純な無事な銭《ぜに》のかからない生涯《しょうがい》を送っているように思われるかも知れないが、いくら猫だって相応に暑さ寒さの感じはある。たまには行水《ぎょうずい》の一度くらいあびたくない事もないが、何しろこの毛衣の上から湯を使った日には乾かすのが容易な事でないから汗臭いのを我慢してこの年になるまで洗湯の暖簾《のれん》を潜《くぐ》った事はない。折々は団扇《うちわ》でも使って見ようと云う気も起らんではないが、とにかく握る事が出来ないのだから仕方がない。それを思うと人間は贅沢《ぜいたく》なものだ。なまで食ってしかるべきものをわざわざ煮て見たり、焼いて見たり、酢《す》に漬《つ》けて見たり、味噌《みそ》をつけて見たり好んで余計な手数《てすう》を懸けて御互に恐悦している。着物だってそうだ。猫のように一年中同じ物を着通せと云うのは、不完全に生れついた彼等にとって、ちと無理かも知れんが、なにもあんなに雑多なものを皮膚の上へ載《の》せて暮さなくてもの事だ。羊の御厄介になったり、蚕《かいこ》の御世話になったり、綿畠の御情《おなさ》けさえ受けるに至っては贅沢《ぜいたく》は無能の結果だと断言しても好いくらいだ。衣食はまず大目に見て勘弁するとしたところで、生存上直接の利害もないところまでこの調子で押して行くのは毫《ごう》も合点《がてん》が行かぬ。第一頭の毛などと云うものは自然に生えるものだから、放《ほう》っておく方がもっとも簡便で当人のためになるだろうと思うのに、彼等は入らぬ算段をして種々雑多な恰好《かっこう》をこしらえて得意である。坊主とか自称するものはいつ見ても頭を青くしている。暑いとその上へ日傘をかぶる。寒いと頭巾《ずきん》で包む。これでは何のために青い物を出しているのか主意が立たんではないか。そうかと思うと櫛《くし》とか称する無意味な鋸様《のこぎりよう》の道具を用いて頭の毛を左右に等分して嬉しがってるのもある。等分にしないと七分三分の割合で頭蓋骨《ずがいこつ》の上へ人為的の区劃《くかく》を立てる。中にはこの仕切りがつむじ[#「つむじ」に傍点]を通り過して後《うし》ろまで食《は》み出しているのがある。まるで贋造《がんぞう》の芭蕉葉《ばしょうは》のようだ。その次には脳天を平らに刈って左右は真直に切り落す。丸い頭へ四角な枠《わく》をはめているから、植木屋を入れた杉垣根の写生としか受け取れない。このほか五分刈、三分刈、一分刈さえあると云う話だから、しまいには頭の裏まで刈り込んでマイナス一分刈、マイナス三分刈などと云う新奇な奴が流行するかも知れない。とにかくそんなに憂身《うきみ》を窶《やつ》してどうするつもりか分らん。第一、足が四本あるのに二本しか使わないと云うのから贅沢だ。四本であるけばそれだけはかも行く訳だのに、いつでも二本ですまして、残る二本は到来の棒鱈《ぼうだら》のように手持無沙汰にぶら下げているのは馬鹿馬鹿しい。これで見ると人間はよほど猫より閑《ひま》なもので退屈のあまりかようないたずらを考案して楽んでいるものと察せられる。ただおかしいのはこの閑人《ひまじん》がよると障《さ》わると多忙だ多忙だと触れ廻わるのみならず、その顔色がいかにも多忙らしい、わるくすると多忙に食い殺されはしまいかと思われるほどこせつい[#「こせつい」に傍点]ている。彼等のあるものは吾輩を見て時々あんなになったら気楽でよかろうなどと云うが、気楽でよければなるが好い。そんなにこせこせしてくれと誰も頼んだ訳でもなかろう。自分で勝手な用事を手に負えぬほど製造して苦しい苦しいと云うのは自分で火をかんかん起して暑い暑いと云うようなものだ。猫だって頭の刈り方を二十通りも考え出す日には、こう気楽にしてはおられんさ。気楽になりたければ吾輩のように夏でも毛衣《けごろも》を着て通されるだけの修業をするがよろしい。――とは云うものの少々熱い。毛衣では全く熱《あ》つ過ぎる。
 これでは一手専売の昼寝も出来ない。何かないかな、永らく人間社会の観察を怠《おこた》ったから、今日は久し振りで彼等が酔興に齷齪《あくせく》する様子を拝見しようかと考えて見たが、生憎《あいにく》主人はこの点に関してすこぶる猫に近い性分《しょうぶん》である。昼寝は吾輩に劣らぬくらいやるし、ことに暑中休暇後になってからは何一つ人間らしい仕事をせんので、いくら観察をしても一向《いっこう》観察する張合がない。こんな時に迷亭でも来ると胃弱性の皮膚も幾分か反応を呈して、しばらくでも猫に遠ざかるだろうに、先生もう来ても好い時だと思っていると、誰とも知らず風呂場でざあざあ水を浴びるものがある。水を浴びる音ばかりではない、折々大きな声で相の手を入れている。「いや結構」「どうも良い心持ちだ」「もう一杯」などと家中《うちじゅう》に響き渡るような声を出す。主人のうちへ来てこんな大きな声と、こんな無作法《ぶさほう》な真似をやるものはほかにはない。迷亭に極《きま》っている。
 いよいよ来たな、これで今日半日は潰《つぶ》せると思っていると、先生汗を拭《ふ》いて肩を入れて例のごとく座敷までずかずか上って来て「奥さん、苦沙弥《くしゃみ》君はどうしました」と呼ばわりながら帽子を畳の上へ抛《ほう》り出す。細君は隣座敷で針箱の側《そば》へ突っ伏して好い心持ちに寝ている最中にワンワンと何だか鼓膜へ答えるほどの響がしたのではっと驚ろいて、醒《さ》めぬ眼をわざと※[#「目+爭」、第3水準1-88-85]《みは》って座敷へ出て来ると迷亭が薩摩上布《さつまじょうふ》を着て勝手な所へ陣取ってしきりに扇使いをしている。
「おやいらしゃいまし」と云ったが少々|狼狽《ろうばい》の気味で「ちっとも存じませんでした」と鼻の頭へ汗をかいたまま御辞儀をする。「いえ、今来たばかりなんですよ。今風呂場で御三《おさん》に水を掛けて貰ってね。ようやく生き帰ったところで――どうも暑いじゃありませんか」「この両三日《りょうさんち》は、ただじっとしておりましても汗が出るくらいで、大変御暑うございます。――でも御変りもございませんで」と細君は依然として鼻の汗をとらない。「ええありがとう。なに暑いくらいでそんなに変りゃしませんや。しかしこの暑さは別物ですよ。どうも体がだるくってね」「私《わたく》しなども、ついに昼寝などを致した事がないんでございますが、こう暑いとつい――」「やりますかね。好いですよ。昼寝られて、夜寝られりゃ、こんな結構な事はないでさあ」とあいかわらず呑気《のんき》な事を並べて見たがそれだけでは不足と見えて「私《わたし》なんざ、寝たくない、質《たち》でね。苦沙弥君などのように来るたんびに寝ている人を見ると羨《うらやま》しいですよ。もっとも胃弱にこの暑さは答えるからね。丈夫な人でも今日なんかは首を肩の上に載《の》せてるのが退儀でさあ。さればと云って載ってる以上はもぎとる訳にも行かずね」と迷亭君いつになく首の処置に窮している。「奥さんなんざ首の上へまだ載っけておくものがあるんだから、坐っちゃいられないはずだ。髷《まげ》の重みだけでも横になりたくなりますよ」と云うと細君は今まで寝ていたのが髷の恰好《かっこう》から露見したと思って「ホホホ口の悪い」と云いながら頭をいじって見る。
 迷亭はそんな事には頓着なく「奥さん、昨日《きのう》はね、屋根の上で玉子のフライをして見ましたよ」と妙な事を云う。「フライをどうなさったんでございます」「屋根の瓦があまり見事に焼けていましたから、ただ置くのも勿体ないと思ってね。バタを溶かして玉子を落したんでさあ」「あらまあ」「ところがやっぱり天日《てんぴ》は思うように行きませんや。なかなか半熟にならないから、下へおりて新聞を読んでいると客が来たもんだからつい忘れてしまって、今朝になって急に思い出して、もう大丈夫だろうと上って見たらね」「どうなっておりました」「半熟どころか、すっかり流れてしまいました」「おやおや」と細君は八の字を寄せながら感嘆した。
「しかし土用中あんなに涼しくって、今頃から暑くなるのは不思議ですね」「ほんとでございますよ。せんだってじゅうは単衣《ひとえ》では寒いくらいでございましたのに、一昨日《おととい》から急に暑くなりましてね」「蟹《かに》なら横に這《は》うところだが今年の気候はあとびさり[#「あとびさり」に傍点]をするんですよ。倒行《とうこう》して逆施《げきし》すまた可ならずやと云うような事を言っているかも知れない」「なんでござんす、それは」「いえ、何でもないのです。どうもこの気候の逆戻りをするところはまるでハーキュリスの牛ですよ」と図に乗っていよいよ変ちきりんな事を言うと、果せるかな細君は分らない。しかし最前の倒行して逆施すで少々|懲《こ》りているから、今度はただ「へえー」と云ったのみで問い返さなかった。これを問い返されないと迷亭はせっかく持ち出した甲斐《かい》がない。「奥さん、ハーキュリスの牛を御存じですか」「そんな牛は存じませんわ」「御存じないですか、ちょっと講釈をしましょうか」と云うと細君もそれには及びませんとも言い兼ねたものだから「ええ」と云った。「昔《むか》しハーキュリスが牛を引っ張って来たんです」「そのハーキュリスと云うのは牛飼ででもござんすか」「牛飼じゃありませんよ。牛飼やいろはの亭主じゃありません。その節は希臘《ギリシャ》にまだ牛肉屋が一軒もない時分の事ですからね」「あら希臘のお話しなの? そんなら、そうおっしゃればいいのに」と細君は希臘と云う国名だけは心得ている。「だってハーキュリスじゃありませんか」「ハーキュリスなら希臘なんですか」「ええハーキュリスは希臘の英雄でさあ」「どうりで、知らないと思いました。それでその男がどうしたんで――」「その男がね奥さん見たように眠くなってぐうぐう寝ている――」「あらいやだ」「寝ている間《ま》に、ヴァルカンの子が来ましてね」「ヴァルカンて何です」「ヴァルカンは鍛冶屋《かじや》ですよ。この鍛冶屋のせがれがその牛を盗んだんでさあ。ところがね。牛の尻尾《しっぽ》を持ってぐいぐい引いて行ったもんだからハーキュリスが眼を覚《さ》まして牛やーい牛やーいと尋ねてあるいても分らないんです。分らないはずでさあ。牛の足跡をつけたって前の方へあるかして連れて行ったんじゃありませんもの、後《うし》ろへ後《うし》ろへと引きずって行ったんですからね。鍛冶屋のせがれにしては大出来ですよ」と迷亭先生はすでに天気の話は忘れている。
「時に御主人はどうしました。相変らず午睡《ひるね》ですかね。午睡も支那人の詩に出てくると風流だが、苦沙弥君のように日課としてやるのは少々俗気がありますね。何の事あない毎日少しずつ死んで見るようなものですぜ、奥さん御手数《おてすう》だがちょっと起していらっしゃい」と催促すると細君は同感と見えて「ええ、ほんとにあれでは困ります。第一あなた、からだが悪るくなるばかりですから。今御飯をいただいたばかりだのに」と立ちかけると迷亭先生は「奥さん、御飯と云やあ、僕はまだ御飯をいただかないんですがね」と平気な顔をして聞きもせぬ事を吹聴《ふいちょう》する。「おやまあ、時分どきだのにちっとも気が付きませんで――それじゃ何もございませんが御茶漬でも」「いえ御茶漬なんか頂戴しなくっても好いですよ」「それでも、あなた、どうせ御口に合うようなものはございませんが」と細君少々厭味を並べる。迷亭は悟ったもので「いえ御茶漬でも御湯漬でも御免蒙るんです。今途中で御馳走を誂《あつ》らえて来ましたから、そいつを一つここでいただきますよ」ととうてい素人《しろうと》には出来そうもない事を述べる。細君はたった一言《ひとこと》「まあ!」と云ったがそのまあ[#「まあ」に傍点]の中《うち》には驚ろいたまあ[#「まあ」に傍点]と、気を悪るくしたまあ[#「まあ」に傍点]と、手数《てすう》が省けてありがたいと云うまあ[#「まあ」に傍点]が合併している。
 ところへ主人が、いつになくあまりやかましいので、寝つき掛った眠をさかに扱《こ》かれたような心持で、ふらふらと書斎から出て来る。「相変らずやかましい男だ。せっかく好い心持に寝ようとしたところを」と欠伸交《あくびまじ》りに仏頂面《ぶっちょうづら》をする。「いや御目覚《おめざめ》かね。鳳眠《ほうみん》を驚かし奉ってはなはだ相済まん。しかしたまには好かろう。さあ坐りたまえ」とどっちが客だか分らぬ挨拶をする。主人は無言のまま座に着いて寄木細工《よせぎざいく》の巻煙草《まきたばこ》入から「朝日」を一本出してすぱすぱ吸い始めたが、ふと向《むこう》の隅《すみ》に転がっている迷亭の帽子に眼をつけて「君帽子を買ったね」と云った。迷亭はすぐさま「どうだい」と自慢らしく主人と細君の前に差し出す。「まあ奇麗だ事。大変目が細かくって柔らかいんですね」と細君はしきりに撫で廻わす。「奥さんこの帽子は重宝《ちょうほう》ですよ、どうでも言う事を聞きますからね」と拳骨《げんこつ》をかためてパナマの横ッ腹をぽかりと張り付けると、なるほど意のごとく拳《こぶし》ほどな穴があいた。細君が「へえ」と驚く間《ま》もなく、この度《たび》は拳骨を裏側へ入れてうんと突ッ張ると釜《かま》の頭がぽかりと尖《と》んがる。次には帽子を取って鍔《つば》と鍔とを両側から圧《お》し潰《つぶ》して見せる。潰れた帽子は麺棒《めんぼう》で延《の》した蕎麦《そば》のように平たくなる。それを片端から蓆《むしろ》でも巻くごとくぐるぐる畳む。「どうですこの通り」と丸めた帽子を懐中へ入れて見せる。「不思議です事ねえ」と細君は帰天斎正一《きてんさいしょういち》の手品でも見物しているように感嘆すると、迷亭もその気になったものと見えて、右から懐中に収めた帽子をわざと左の袖口《そでぐち》から引っ張り出して「どこにも傷はありません」と元のごとくに直して、人さし指の先へ釜の底を載《の》せてくるくると廻す。もう休《や》めるかと思ったら最後にぽんと後《うし》ろへ放《な》げてその上へ堂《ど》っさりと尻餅を突いた。「君大丈夫かい」と主人さえ懸念《けねん》らしい顔をする。細君は無論の事心配そうに「せっかく見事な帽子をもし壊《こ》わしでもしちゃあ大変ですから、もう好い加減になすったら宜《よ》うござんしょう」と注意をする。得意なのは持主だけで「ところが壊われないから妙でしょう」と、くちゃくちゃになったのを尻の下から取り出してそのまま頭へ載せると、不思議な事には、頭の恰好《かっこう》にたちまち回復する。「実に丈夫な帽子です事ねえ、どうしたんでしょう」と細君がいよいよ感心すると「なにどうもしたんじゃありません、元からこう云う帽子なんです」と迷亭は帽子を被ったまま細君に返事をしている。
「あなたも、あんな帽子を御買になったら、いいでしょう」としばらくして細君は主人に勧めかけた。「だって苦沙弥君は立派な麦藁《むぎわら》の奴を持ってるじゃありませんか」「ところがあなた、せんだって小供があれを踏み潰《つぶ》してしまいまして」「おやおやそりゃ惜しい[#「惜しい」は底本では「措しい」]事をしましたね」「だから今度はあなたのような丈夫で奇麗なのを買ったら善かろうと思いますんで」と細君はパナマの価段《ねだん》を知らないものだから「これになさいよ、ねえ、あなた」としきりに主人に勧告している。
 迷亭君は今度は右の袂《たもと》の中から赤いケース入りの鋏《はさみ》を取り出して細君に見せる。「奥さん、帽子はそのくらいにしてこの鋏を御覧なさい。これがまたすこぶる重宝《ちょうほう》な奴で、これで十四通りに使えるんです」この鋏が出ないと主人は細君のためにパナマ責めになるところであったが、幸に細君が女として持って生れた好奇心のために、この厄運《やくうん》を免《まぬ》かれたのは迷亭の機転と云わんよりむしろ僥倖《ぎょうこう》の仕合せだと吾輩は看破した。「その鋏がどうして十四通りに使えます」と聞くや否や迷亭君は大得意な調子で「今一々説明しますから聞いていらっしゃい。いいですか。ここに三日月形《みかづきがた》の欠け目がありましょう、ここへ葉巻を入れてぷつりと口を切るんです。それからこの根にちょと細工がありましょう、これで針金をぽつぽつやりますね。次には平たくして紙の上へ横に置くと定規《じょうぎ》の用をする。また刃《は》の裏には度盛《どもり》がしてあるから物指《ものさし》の代用も出来る。こちらの表にはヤスリ[#「ヤスリ」に傍点]が付いているこれで爪を磨《す》りまさあ。ようがすか。この先《さ》きを螺旋鋲《らせんびょう》の頭へ刺し込んでぎりぎり廻すと金槌《かなづち》にも使える。うんと突き込んでこじ開けると大抵の釘付《くぎづけ》の箱なんざあ苦もなく蓋《ふた》がとれる。まった、こちらの刃の先は錐《きり》に出来ている。ここん所《とこ》は書き損いの字を削《けず》る場所で、ばらばらに離すと、ナイフとなる。一番しまいに――さあ奥さん、この一番しまいが大変面白いんです、ここに蠅《はえ》の眼玉くらいな大きさの球《たま》がありましょう、ちょっと、覗《のぞ》いて御覧なさい」「いやですわまたきっと馬鹿になさるんだから」「そう信用がなくっちゃ困ったね。だが欺《だま》されたと思って、ちょいと覗いて御覧なさいな。え? 厭《いや》ですか、ちょっとでいいから」と鋏《はさみ》を細君に渡す。細君は覚束《おぼつか》なげに鋏を取りあげて、例の蠅の眼玉の所へ自分の眼玉を付けてしきりに覘《ねらい》をつけている。「どうです」「何だか真黒ですわ」「真黒じゃいけませんね。も少し障子の方へ向いて、そう鋏を寝かさずに――そうそうそれなら見えるでしょう」「おやまあ写真ですねえ。どうしてこんな小さな写真を張り付けたんでしょう」「そこが面白いところでさあ」と細君と迷亭はしきりに問答をしている。最前から黙っていた主人はこの時急に写真が見たくなったものと見えて「おい俺にもちょっと覧《み》せろ」と云うと細君は鋏を顔へ押し付けたまま「実に奇麗です事、裸体の美人ですね」と云ってなかなか離さない。「おいちょっと御見せと云うのに」「まあ待っていらっしゃいよ。美くしい髪ですね。腰までありますよ。少し仰向《あおむ》いて恐ろしい背《せい》の高い女だ事、しかし美人ですね」「おい御見せと云ったら、大抵にして見せるがいい」と主人は大《おおい》に急《せ》き込んで細君に食って掛る。「へえ御待遠さま、たんと御覧遊ばせ」と細君が鋏を主人に渡す時に、勝手から御三《おさん》が御客さまの御誂《おあつらえ》が参りましたと、二個の笊蕎麦《ざるそば》を座敷へ持って来る。
「奥さんこれが僕の自弁《じべん》の御馳走ですよ。ちょっと御免蒙って、ここでぱくつく事に致しますから」と叮嚀《ていねい》に御辞儀をする。真面目なような巫山戯《ふざけ》たような動作だから細君も応対に窮したと見えて「さあどうぞ」と軽く返事をしたぎり拝見している。主人はようやく写真から眼を放して「君この暑いのに蕎麦《そば》は毒だぜ」と云った。「なあに大丈夫、好きなものは滅多《めった》に中《あた》るもんじゃない」と蒸籠《せいろ》の蓋《ふた》をとる。「打ち立てはありがたいな。蕎麦《そば》の延びたのと、人間の間《ま》が抜けたのは由来たのもしくないもんだよ」と薬味《やくみ》をツユ[#「ツユ」に傍点]の中へ入れて無茶苦茶に掻《か》き廻わす。「君そんなに山葵《わさび》を入れると辛《か》らいぜ」と主人は心配そうに注意した。「蕎麦はツユ[#「ツユ」に傍点]と山葵で食うもんだあね。君は蕎麦が嫌いなんだろう」「僕は饂飩《うどん》が好きだ」「饂飩は馬子《まご》が食うもんだ。蕎麦の味を解しない人ほど気の毒な事はない」と云いながら杉箸《すぎばし》をむざと突き込んで出来るだけ多くの分量を二寸ばかりの高さにしゃくい上げた。「奥さん蕎麦を食うにもいろいろ流儀がありますがね。初心《しょしん》の者に限って、無暗《むやみ》にツユ[#「ツユ」に傍点]を着けて、そうして口の内でくちゃくちゃやっていますね。あれじゃ蕎麦の味はないですよ。何でも、こう、一《ひ》としゃくいに引っ掛けてね」と云いつつ箸を上げると、長い奴が勢揃《せいぞろ》いをして一尺ばかり空中に釣るし上げられる。迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂《すだ》れの上に纏綿《てんめん》している。「こいつは長いな、どうです奥さん、この長さ加減は」とまた奥さんに相の手を要求する。奥さんは「長いものでございますね」とさも感心したらしい返事をする。「この長い奴へツユ[#「ツユ」に傍点]を三分一《さんぶいち》つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛《か》んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉《のど》を滑《すべ》り込むところがねうちだよ」と思い切って箸《はし》を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。左手《ゆんで》に受ける茶碗の中へ、箸を少しずつ落して、尻尾の先からだんだんに浸《ひた》すと、アーキミジスの理論によって、蕎麦の浸《つか》った分量だけツユ[#「ツユ」に傍点]の嵩《かさ》が増してくる。ところが茶碗の中には元からツユ[#「ツユ」に傍点]が八分目|這入《はい》っているから、迷亭の箸にかかった蕎麦の四半分《しはんぶん》も浸《つか》らない先に茶碗はツユで一杯になってしまった。迷亭の箸は茶碗を去《さ》る五寸の上に至ってぴたりと留まったきりしばらく動かない。動かないのも無理はない。少しでも卸《おろ》せばツユ[#「ツユ」に傍点]が溢《こぼ》れるばかりである。迷亭もここに至って少し※[#「足へん+厨」、第3水準1-92-39]躇《ちゅうちょ》の体《てい》であったが、たちまち脱兎《だっと》の勢を以て、口を箸の方へ持って行ったなと思う間《ま》もなく、つるつるちゅうと音がして咽喉笛《のどぶえ》が一二度|上下《じょうげ》へ無理に動いたら箸の先の蕎麦は消えてなくなっておった。見ると迷亭君の両眼から涙のようなものが一二滴|眼尻《めじり》から頬へ流れ出した。山葵《わさび》が利《き》いたものか、飲み込むのに骨が折れたものかこれはいまだに判然しない。「感心だなあ。よくそんなに一どきに飲み込めたものだ」と主人が敬服すると「御見事です事ねえ」と細君も迷亭の手際《てぎわ》を激賞した。迷亭は何にも云わないで箸を置いて胸を二三度|敲《たた》いたが「奥さん笊《ざる》は大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数《てすう》を掛けちゃ旨《うま》く食えませんよ」とハンケチで口を拭いてちょっと一息入れている。
 ところへ寒月君が、どう云う了見《りょうけん》かこの暑いのに御苦労にも冬帽を被《かぶ》って両足を埃《ほこり》だらけにしてやってくる。「いや好男子の御入来《ごにゅうらい》だが、喰い掛けたものだからちょっと失敬しますよ」と迷亭君は衆人環座《しゅうじんかんざ》の裏《うち》にあって臆面《おくめん》もなく残った蒸籠を平《たいら》げる。今度は先刻《さっき》のように目覚《めざま》しい食方もしなかった代りに、ハンケチを使って、中途で息を入れると云う不体裁もなく、蒸籠《せいろ》二つを安々とやってのけたのは結構だった。
「寒月君博士論文はもう脱稿するのかね」と主人が聞くと迷亭もその後《あと》から「金田令嬢がお待ちかねだから早々《そうそう》呈出《ていしゅつ》したまえ」と云う。寒月君は例のごとく薄気味の悪い笑を洩《も》らして「罪ですからなるべく早く出して安心させてやりたいのですが、何しろ問題が問題で、よほど労力の入《い》る研究を要するのですから」と本気の沙汰とも思われない事を本気の沙汰らしく云う。「そうさ問題が問題だから、そう鼻の言う通りにもならないね。もっともあの鼻なら充分鼻息をうかがうだけの価値はあるがね」と迷亭も寒月流な挨拶をする。比較的に真面目なのは主人である。「君の論文の問題は何とか云ったっけな」「蛙の眼球《めだま》の電動作用に対する紫外光線《しがいこうせん》の影響と云うのです」「そりゃ奇だね。さすがは寒月先生だ、蛙の眼球は振《ふる》ってるよ。どうだろう苦沙弥君、論文脱稿前にその問題だけでも金田家へ報知しておいては」主人は迷亭の云う事には取り合わないで「君そんな事が骨の折れる研究かね」と寒月君に聞く。「ええ、なかなか複雑な問題です、第一蛙の眼球のレンズの構造がそんな単簡《たんかん》なものでありませんからね。それでいろいろ実験もしなくちゃなりませんがまず丸い硝子《ガラス》の球《たま》をこしらえてそれからやろうと思っています」「硝子の球なんかガラス屋へ行けば訳ないじゃないか」「どうして――どうして」と寒月先生少々|反身《そりみ》になる。「元来|円《えん》とか直線とか云うのは幾何学的のもので、あの定義に合ったような理想的な円や直線は現実世界にはないもんです」「ないもんなら、廃《よ》したらよかろう」と迷亭が口を出す。「それでまず実験上|差《さ》し支《つか》えないくらいな球を作って見ようと思いましてね。せんだってからやり始めたのです」「出来たかい」と主人が訳のないようにきく。「出来るものですか」と寒月君が云ったが、これでは少々矛盾だと気が付いたと見えて「どうもむずかしいです。だんだん磨《す》って少しこっち側の半径が長過ぎるからと思ってそっちを心持落すと、さあ大変今度は向側《むこうがわ》が長くなる。そいつを骨を折ってようやく磨《す》り潰《つぶ》したかと思うと全体の形がいびつ[#「いびつ」に傍点]になるんです。やっとの思いでこのいびつ[#「いびつ」に傍点]を取るとまた直径に狂いが出来ます。始めは林檎《りんご》ほどな大きさのものがだんだん小さくなって苺《いちご》ほどになります。それでも根気よくやっていると大豆《だいず》ほどになります。大豆ほどになってもまだ完全な円は出来ませんよ。私も随分熱心に磨りましたが――この正月からガラス玉を大小六個磨り潰しましたよ」と嘘だか本当だか見当のつかぬところを喋々《ちょうちょう》と述べる。「どこでそんなに磨っているんだい」「やっぱり学校の実験室です、朝磨り始めて、昼飯のときちょっと休んでそれから暗くなるまで磨るんですが、なかなか楽じゃありません」「それじゃ君が近頃忙がしい忙がしいと云って毎日日曜でも学校へ行くのはその珠を磨りに行くんだね」「全く目下のところは朝から晩まで珠ばかり磨っています」「珠作りの博士となって入り込みしは――と云うところだね。しかしその熱心を聞かせたら、いかな鼻でも少しはありがたがるだろう。実は先日僕がある用事があって図書館へ行って帰りに門を出ようとしたら偶然|老梅《ろうばい》君に出逢ったのさ。あの男が卒業後図書館に足が向くとはよほど不思議な事だと思って感心に勉強するねと云ったら先生妙な顔をして、なに本を読みに来たんじゃない、今門前を通り掛ったらちょっと小用《こよう》がしたくなったから拝借に立ち寄ったんだと云ったんで大笑をしたが、老梅君と君とは反対の好例として新撰蒙求《しんせんもうぎゅう》に是非入れたいよ」と迷亭君例のごとく長たらしい註釈をつける。主人は少し真面目になって「君そう毎日毎日珠ばかり磨ってるのもよかろうが、元来いつ頃出来上るつもりかね」と聞く。「まあこの容子《ようす》じゃ十年くらいかかりそうです」と寒月君は主人より呑気《のんき》に見受けられる。「十年じゃ――もう少し早く磨り上げたらよかろう」「十年じゃ早い方です、事によると廿年くらいかかります」「そいつは大変だ、それじゃ容易に博士にゃなれないじゃないか」「ええ一日も早くなって安心さしてやりたいのですがとにかく珠を磨り上げなくっちゃ肝心の実験が出来ませんから……」
 寒月君はちょっと句を切って「何、そんなにご心配には及びませんよ。金田でも私の珠ばかり磨ってる事はよく承知しています。実は二三日《にさんち》前行った時にもよく事情を話して来ました」としたり顔に述べ立てる。すると今まで三人の談話を分らぬながら傾聴していた細君が「それでも金田さんは家族中残らず、先月から大磯へ行っていらっしゃるじゃありませんか」と不審そうに尋ねる。寒月君もこれには少し辟易《へきえき》の体《てい》であったが「そりゃ妙ですな、どうしたんだろう」ととぼけている。こう云う時に重宝なのは迷亭君で、話の途切《とぎ》れた時、極《きま》りの悪い時、眠くなった時、困った時、どんな時でも必ず横合から飛び出してくる。「先月大磯へ行ったものに両三日《りょうさんち》前東京で逢うなどは神秘的でいい。いわゆる霊の交換だね。相思の情の切な時にはよくそう云う現象が起るものだ。ちょっと聞くと夢のようだが、夢にしても現実よりたしかな夢だ。奥さんのように別に思いも思われもしない苦沙弥君の所へ片付いて生涯《しょうがい》恋の何物たるを御解しにならん方には、御不審ももっともだが……」「あら何を証拠にそんな事をおっしゃるの。随分|軽蔑《けいべつ》なさるのね」と細君は中途から不意に迷亭に切り付ける。「君だって恋煩《こいわずら》いなんかした事はなさそうじゃないか」と主人も正面から細君に助太刀をする。「そりゃ僕の艶聞《えんぶん》などは、いくら有ってもみんな七十五日以上経過しているから、君方《きみがた》の記憶には残っていないかも知れないが――実はこれでも失恋の結果、この歳になるまで独身で暮らしているんだよ」と一順列座の顔を公平に見廻わす。「ホホホホ面白い事」と云ったのは細君で、「馬鹿にしていらあ」と庭の方を向いたのは主人である。ただ寒月君だけは「どうかその懐旧談を後学《こうがく》のために伺いたいもので」と相変らずにやにやする。
「僕のも大分《だいぶ》神秘的で、故小泉八雲先生に話したら非常に受けるのだが、惜しい事に先生は永眠されたから、実のところ話す張合もないんだが、せっかくだから打ち開けるよ。その代りしまいまで謹聴しなくっちゃいけないよ」と念を押していよいよ本文に取り掛る。「回顧すると今を去る事――ええと――何年前だったかな――面倒だからほぼ十五六年前としておこう」「冗談《じょうだん》じゃない」と主人は鼻からフンと息をした。「大変物覚えが御悪いのね」と細君がひやかした。寒月君だけは約束を守って一言《いちごん》も云わずに、早くあとが聴きたいと云う風をする。「何でもある年の冬の事だが、僕が越後の国は蒲原郡《かんばらごおり》筍谷《たけのこだに》を通って、蛸壺峠《たこつぼとうげ》へかかって、これからいよいよ会津領《あいづりょう》[#ルビの「あいづりょう」は底本では「あいずりょう」]へ出ようとするところだ」「妙なところだな」と主人がまた邪魔をする。「だまって聴いていらっしゃいよ。面白いから」と細君が制する。「ところが日は暮れる、路は分らず、腹は減る、仕方がないから峠の真中にある一軒屋を敲《たた》いて、これこれかようかようしかじかの次第だから、どうか留めてくれと云うと、御安い御用です、さあ御上がんなさいと裸蝋燭《はだかろうそく》を僕の顔に差しつけた娘の顔を見て僕はぶるぶると悸《ふる》えたがね。僕はその時から恋と云う曲者《くせもの》の魔力を切実に自覚したね」「おやいやだ。そんな山の中にも美しい人があるんでしょうか」「山だって海だって、奥さん、その娘を一目あなたに見せたいと思うくらいですよ、文金《ぶんきん》の高島田《たかしまだ》に髪を結《い》いましてね」「へえー」と細君はあっけに取られている。「這入《はい》って見ると八畳の真中に大きな囲炉裏《いろり》が切ってあって、その周《まわ》りに娘と娘の爺《じい》さんと婆《ばあ》さんと僕と四人坐ったんですがね。さぞ御腹《おなか》が御減《おへ》りでしょうと云いますから、何でも善いから早く食わせ給えと請求したんです。すると爺さんがせっかくの御客さまだから蛇飯《へびめし》でも炊《た》いて上げようと云うんです。さあこれからがいよいよ失恋に取り掛るところだからしっかりして聴きたまえ」「先生しっかりして聴く事は聴きますが、なんぼ越後の国だって冬、蛇がいやしますまい」「うん、そりゃ一応もっともな質問だよ。しかしこんな詩的な話しになるとそう理窟《りくつ》にばかり拘泥《こうでい》してはいられないからね。鏡花の小説にゃ雪の中から蟹《かに》が出てくるじゃないか」と云ったら寒月君は「なるほど」と云ったきりまた謹聴の態度に復した。
「その時分の僕は随分|悪《あく》もの食いの隊長で、蝗《いなご》、なめくじ、赤蛙などは食い厭《あ》きていたくらいなところだから、蛇飯は乙《おつ》だ。早速御馳走になろうと爺さんに返事をした。そこで爺さん囲炉裏の上へ鍋《なべ》をかけて、その中へ米を入れてぐずぐず煮出したものだね。不思議な事にはその鍋《なべ》の蓋《ふた》を見ると大小十個ばかりの穴があいている。その穴から湯気がぷうぷう吹くから、旨《うま》い工夫をしたものだ、田舎《いなか》にしては感心だと見ていると、爺さんふと立って、どこかへ出て行ったがしばらくすると、大きな笊《ざる》を小脇に抱《か》い込んで帰って来た。何気なくこれを囲炉裏の傍《そば》へ置いたから、その中を覗《のぞ》いて見ると――いたね。長い奴が、寒いもんだから御互にとぐろ[#「とぐろ」に傍点]の捲《ま》きくらをやって塊《かた》まっていましたね」「もうそんな御話しは廃《よ》しになさいよ。厭らしい」と細君は眉に八の字を寄せる。「どうしてこれが失恋の大源因になるんだからなかなか廃せませんや。爺さんはやがて左手に鍋の蓋をとって、右手に例の塊まった長い奴を無雑作《むぞうさ》につかまえて、いきなり鍋の中へ放《ほう》り込んで、すぐ上から蓋をしたが、さすがの僕もその時ばかりははっと息の穴が塞《ふさが》ったかと思ったよ」「もう御やめになさいよ。気味《きび》の悪るい」と細君しきりに怖《こわ》がっている。「もう少しで失恋になるからしばらく辛抱《しんぼう》していらっしゃい。すると一分立つか立たないうちに蓋の穴から鎌首《かまくび》がひょいと一つ出ましたのには驚ろきましたよ。やあ出たなと思うと、隣の穴からもまたひょいと顔を出した。また出たよと云ううち、あちらからも出る。こちらからも出る。とうとう鍋中《なべじゅう》蛇の面《つら》だらけになってしまった」「なんで、そんなに首を出すんだい」「鍋の中が熱いから、苦しまぎれに這い出そうとするのさ。やがて爺さんは、もうよかろう、引っ張らっしとか何とか云うと、婆さんははあーと答える、娘はあいと挨拶をして、名々《めいめい》に蛇の頭を持ってぐいと引く。肉は鍋の中に残るが、骨だけは奇麗に離れて、頭を引くと共に長いのが面白いように抜け出してくる」「蛇の骨抜きですね」と寒月君が笑いながら聞くと「全くの事骨抜だ、器用な事をやるじゃないか。それから蓋を取って、杓子《しゃくし》でもって飯と肉を矢鱈《やたら》に掻《か》き交《ま》ぜて、さあ召し上がれと来た」「食ったのかい」と主人が冷淡に尋ねると、細君は苦《にが》い顔をして「もう廃《よ》しになさいよ、胸が悪るくって御飯も何もたべられやしない」と愚痴をこぼす。「奥さんは蛇飯を召し上がらんから、そんな事をおっしゃるが、まあ一遍たべてご覧なさい、あの味ばかりは生涯《しょうがい》忘れられませんぜ」「おお、いやだ、誰が食べるもんですか」「そこで充分|御饌《ごぜん》も頂戴し、寒さも忘れるし、娘の顔も遠慮なく見るし、もう思いおく事はないと考えていると、御休みなさいましと云うので、旅の労《つか》れもある事だから、仰《おおせ》に従って、ごろりと横になると、すまん訳だが前後を忘却して寝てしまった」「それからどうなさいました」と今度は細君の方から催促する。「それから明朝《あくるあさ》になって眼を覚《さま》してからが失恋でさあ」「どうかなさったんですか」「いえ別にどうもしやしませんがね。朝起きて巻煙草《まきたばこ》をふかしながら裏の窓から見ていると、向うの筧《かけひ》の傍《そば》で、薬缶頭《やかんあたま》が顔を洗っているんでさあ」「爺さんか婆さんか」と主人が聞く。「それがさ、僕にも識別しにくかったから、しばらく拝見していて、その薬缶がこちらを向く段になって驚ろいたね。それが僕の初恋をした昨夜《ゆうべ》の娘なんだもの」「だって娘は島田に結《い》っているとさっき云ったじゃないか」「前夜は島田さ、しかも見事な島田さ。ところが翌朝は丸薬缶さ」「人を馬鹿にしていらあ」と主人は例によって天井の方へ視線をそらす。「僕も不思議の極《きょく》内心少々|怖《こわ》くなったから、なお余所《よそ》ながら容子《ようす》を窺《うかが》っていると、薬缶はようやく顔を洗い了《おわ》って、傍《かた》えの石の上に置いてあった高島田の鬘《かずら》を無雑作に被《かぶ》って、すましてうちへ這入《はい》ったんでなるほどと思った。なるほどとは思ったようなもののその時から、とうとう失恋の果敢《はか》なき運命をかこつ身となってしまった」「くだらない失恋もあったもんだ。ねえ、寒月君、それだから、失恋でも、こんなに陽気で元気がいいんだよ」と主人が寒月君に向って迷亭君の失恋を評すると、寒月君は「しかしその娘が丸薬缶でなくってめでたく東京へでも連れて御帰りになったら、先生はなお元気かも知れませんよ、とにかくせっかくの娘が禿《はげ》であったのは千秋《せんしゅう》の恨事《こんじ》ですねえ。それにしても、そんな若い女がどうして、毛が抜けてしまったんでしょう」「僕もそれについてはだんだん考えたんだが全く蛇飯を食い過ぎたせいに相違ないと思う。蛇飯てえ奴はのぼせるからね」「しかしあなたは、どこも何ともなくて結構でございましたね」「僕は禿にはならずにすんだが、その代りにこの通りその時から近眼《きんがん》になりました」と金縁の眼鏡をとってハンケチで叮嚀《ていねい》に拭《ふ》いている。しばらくして主人は思い出したように「全体どこが神秘的なんだい」と念のために聞いて見る。「あの鬘はどこで買ったのか、拾ったのかどう考えても未《いま》だに分らないからそこが神秘さ」と迷亭君はまた眼鏡を元のごとく鼻の上へかける。「まるで噺《はな》し家《か》の話を聞くようでござんすね」とは細君の批評であった。
 迷亭の駄弁もこれで一段落を告げたから、もうやめるかと思いのほか、先生は猿轡《さるぐつわ》でも嵌《は》められないうちはとうてい黙っている事が出来ぬ性《たち》と見えて、また次のような事をしゃべり出した。
「僕の失恋も苦《にが》い経験だが、あの時あの薬缶《やかん》を知らずに貰ったが最後生涯の目障《めざわ》りになるんだから、よく考えないと険呑《けんのん》だよ。結婚なんかは、いざと云う間際になって、飛んだところに傷口が隠れているのを見出《みいだ》す事がある者だから。寒月君などもそんなに憧憬《しょうけい》したり※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1-84-54]※[#「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45]《しょうきょう》したり独《ひと》りでむずかしがらないで、篤《とく》と気を落ちつけて珠《たま》を磨《す》るがいいよ」といやに異見めいた事を述べると、寒月君は「ええなるべく珠ばかり磨っていたいんですが、向うでそうさせないんだから弱り切ります」とわざと辟易《へきえき》したような顔付をする。「そうさ、君などは先方が騒ぎ立てるんだが、中には滑稽なのがあるよ。あの図書館へ小便をしに来た老梅《ろうばい》君などになるとすこぶる奇だからね」「どんな事をしたんだい」と主人が調子づいて承《うけたま》わる。「なあに、こう云う訳さ。先生その昔静岡の東西館へ泊った事があるのさ。――たった一と晩だぜ――それでその晩すぐにそこの下女に結婚を申し込んだのさ。僕も随分|呑気《のんき》だが、まだあれほどには進化しない。もっともその時分には、あの宿屋に御夏《おなつ》さんと云う有名な別嬪《べっぴん》がいて老梅君の座敷へ出たのがちょうどその御夏さんなのだから無理はないがね」「無理がないどころか君の何とか峠とまるで同じじゃないか」「少し似ているね、実を云うと僕と老梅とはそんなに差異はないからな。とにかく、その御夏さんに結婚を申し込んで、まだ返事を聞かないうちに水瓜《すいか》が食いたくなったんだがね」「何だって?」と主人が不思議な顔をする。主人ばかりではない、細君も寒月も申し合せたように首をひねってちょっと考えて見る。迷亭は構わずどんどん話を進行させる。「御夏さんを呼んで静岡に水瓜はあるまいかと聞くと、御夏さんが、なんぼ静岡だって水瓜くらいはありますよと、御盆に水瓜を山盛りにして持ってくる。そこで老梅君食ったそうだ。山盛りの水瓜をことごとく平らげて、御夏さんの返事を待っていると、返事の来ないうちに腹が痛み出してね、うーんうーんと唸《うな》ったが少しも利目《ききめ》がないからまた御夏さんを呼んで今度は静岡に医者はあるまいかと聞いたら、御夏さんがまた、なんぼ静岡だって医者くらいはありますよと云って、天地玄黄《てんちげんこう》とかいう千字文《せんじもん》を盗んだような名前のドクトルを連れて来た。翌朝《あくるあさ》になって、腹の痛みも御蔭でとれてありがたいと、出立する十五分前に御夏さんを呼んで、昨日《きのう》申し込んだ結婚事件の諾否を尋ねると、御夏さんは笑いながら静岡には水瓜もあります、御医者もありますが一夜作りの御嫁はありませんよと出て行ったきり顔を見せなかったそうだ。それから老梅君も僕同様失恋になって、図書館へは小便をするほか来なくなったんだって、考えると女は罪な者だよ」と云うと主人がいつになく引き受けて「本当にそうだ。せんだってミュッセの脚本を読んだらそのうちの人物が羅馬《ローマ》の詩人を引用してこんな事を云っていた。――羽より軽い者は塵《ちり》である。塵より軽いものは風である。風より軽い者は女である。女より軽いものは無《む》である。――よく穿《うが》ってるだろう。女なんか仕方がない」と妙なところで力味《りき》んで見せる。これを承《うけたまわ》った細君は承知しない。「女の軽いのがいけないとおっしゃるけれども、男の重いんだって好い事はないでしょう」「重いた、どんな事だ」「重いと云うな重い事ですわ、あなたのようなのです」「俺がなんで重い」「重いじゃありませんか」と妙な議論が始まる。迷亭は面白そうに聞いていたが、やがて口を開いて「そう赤くなって互に弁難攻撃をするところが夫婦の真相と云うものかな。どうも昔の夫婦なんてものはまるで無意味なものだったに違いない」とひやかすのだか賞《ほ》めるのだか曖昧《あいまい》な事を言ったが、それでやめておいても好い事をまた例の調子で布衍《ふえん》して、下《しも》のごとく述べられた。
「昔は亭主に口返答なんかした女は、一人もなかったんだって云うが、それなら唖《おし》を女房にしていると同じ事で僕などは一向《いっこう》ありがたくない。やっぱり奥さんのようにあなたは重いじゃありませんかとか何とか云われて見たいね。同じ女房を持つくらいなら、たまには喧嘩の一つ二つしなくっちゃ退屈でしようがないからな。僕の母などと来たら、おやじの前へ出てはい[#「はい」に傍点]とへい[#「へい」に傍点]で持ち切っていたものだ。そうして二十年もいっしょになっているうちに寺参りよりほかに外へ出た事がないと云うんだから情けないじゃないか。もっとも御蔭で先祖代々の戒名《かいみょう》はことごとく暗記している。男女間の交際だってそうさ、僕の小供の時分などは寒月君のように意中の人と合奏をしたり、霊の交換をやって朦朧体《もうろうたい》で出合って見たりする事はとうてい出来なかった」「御気の毒様で」と寒月君が頭を下げる。「実に御気の毒さ。しかもその時分の女が必《かなら》ずしも今の女より品行がいいと限らんからね。奥さん近頃は女学生が堕落したの何だのとやかましく云いますがね。なに昔はこれより烈《はげ》しかったんですよ」「そうでしょうか」と細君は真面目である。「そうですとも、出鱈目《でたらめ》じゃない、ちゃんと証拠があるから仕方がありませんや。苦沙弥君、君も覚えているかも知れんが僕等の五六歳の時までは女の子を唐茄子《とうなす》のように籠《かご》へ入れて天秤棒《てんびんぼう》で担《かつ》いで売ってあるいたもんだ、ねえ君」「僕はそんな事は覚えておらん」「君の国じゃどうだか知らないが、静岡じゃたしかにそうだった」「まさか」と細君が小さい声を出すと、「本当ですか」と寒月君が本当らしからぬ様子で聞く。
「本当さ。現に僕のおやじが価《ね》を付けた事がある。その時僕は何でも六つくらいだったろう。おやじといっしょに油町《あぶらまち》から通町《とおりちょう》へ散歩に出ると、向うから大きな声をして女の子はよしかな、女の子はよしかなと怒鳴《どな》ってくる。僕等がちょうど二丁目の角へ来ると、伊勢源《いせげん》と云う呉服屋の前でその男に出っ食わした。伊勢源と云うのは間口が十間で蔵《くら》が五《い》つ戸前《とまえ》あって静岡第一の呉服屋だ。今度行ったら見て来給え。今でも歴然と残っている。立派なうちだ。その番頭が甚兵衛と云ってね。いつでも御袋《おふくろ》が三日前に亡《な》くなりましたと云うような顔をして帳場の所へ控《ひか》えている。甚兵衛君の隣りには初《はつ》さんという二十四五の若い衆《しゅ》が坐っているが、この初さんがまた雲照律師《うんしょうりっし》に帰依《きえ》して三七二十一日の間|蕎麦湯《そばゆ》だけで通したと云うような青い顔をしている。初さんの隣りが長《ちょう》どんでこれは昨日《きのう》火事で焚《や》き出されたかのごとく愁然《しゅうぜん》と算盤《そろばん》に身を凭《もた》している。長どんと併《なら》んで……」「君は呉服屋の話をするのか、人売りの話をするのか」「そうそう人売りの話しをやっていたんだっけ。実はこの伊勢源についてもすこぶる奇譚《きだん》があるんだが、それは割愛《かつあい》して今日は人売りだけにしておこう」「人売りもついでにやめるがいい」「どうしてこれが二十世紀の今日《こんにち》と明治初年頃の女子の品性の比較について大《だい》なる参考になる材料だから、そんなに容易《たやす》くやめられるものか――それで僕がおやじと伊勢源の前までくると、例の人売りがおやじを見て旦那女の子の仕舞物《しまいもの》はどうです、安く負けておくから買っておくんなさいと云いながら天秤棒《てんびんぼう》をおろして汗を拭《ふ》いているのさ。見ると籠の中には前に一人|後《うし》ろに一人両方とも二歳ばかりの女の子が入れてある。おやじはこの男に向って安ければ買ってもいいが、もうこれぎりかいと聞くと、へえ生憎《あいにく》今日はみんな売り尽《つく》してたった二つになっちまいました。どっちでも好いから取っとくんなさいなと女の子を両手で持って唐茄子《とうなす》か何ぞのようにおやじの鼻の先へ出すと、おやじはぽんぽんと頭を叩《たた》いて見て、ははあかなりな音だと云った。それからいよいよ談判が始まって散々《さんざ》価切《ねぎ》った末おやじが、買っても好いが品はたしかだろうなと聞くと、ええ前の奴は始終見ているから間違はありませんがね後《うし》ろに担《かつ》いでる方は、何しろ眼がないんですから、ことによるとひびが入ってるかも知れません。こいつの方なら受け合えない代りに価段《ねだん》を引いておきますと云った。僕はこの問答を未《いま》だに記憶しているんだがその時小供心に女と云うものはなるほど油断のならないものだと思ったよ。――しかし明治三十八年の今日《こんにち》こんな馬鹿な真似をして女の子を売ってあるくものもなし、眼を放して後《うし》ろへ担《かつ》いだ方は険呑《けんのん》だなどと云う事も聞かないようだ。だから、僕の考ではやはり泰西《たいせい》文明の御蔭で女の品行もよほど進歩したものだろうと断定するのだが、どうだろう寒月君」
 寒月君は返事をする前にまず鷹揚《おうよう》な咳払《せきばらい》を一つして見せたが、それからわざと落ちついた低い声で、こんな観察を述べられた。「この頃の女は学校の行き帰りや、合奏会や、慈善会や、園遊会で、ちょいと買って頂戴な、あらおいや? などと自分で自分を売りにあるいていますから、そんな八百屋《やおや》のお余りを雇って、女の子はよしか、なんて下品な依托販売《いたくはんばい》をやる必要はないですよ。人間に独立心が発達してくると自然こんな風になるものです。老人なんぞはいらぬ取越苦労をして何とかかとか云いますが、実際を云うとこれが文明の趨勢《すうせい》ですから、私などは大《おおい》に喜ばしい現象だと、ひそかに慶賀の意を表しているのです。買う方だって頭を敲《たた》いて品物は確かかなんて聞くような野暮《やぼ》は一人もいないんですからその辺は安心なものでさあ。またこの複雑な世の中に、そんな手数《てすう》をする日にゃあ、際限がありませんからね。五十になったって六十になったって亭主を持つ事も嫁に行く事も出来やしません」寒月君は二十世紀の青年だけあって、大《おおい》に当世流の考を開陳《かいちん》しておいて、敷島《しきしま》の煙をふうーと迷亭先生の顔の方へ吹き付けた。迷亭は敷島の煙くらいで辟易《へきえき》する男ではない。「仰せの通り方今《ほうこん》の女生徒、令嬢などは自尊自信の念から骨も肉も皮まで出来ていて、何でも男子に負けないところが敬服の至りだ。僕の近所の女学校の生徒などと来たらえらいものだぜ。筒袖《つつそで》を穿《は》いて鉄棒《かなぼう》へぶら下がるから感心だ。僕は二階の窓から彼等の体操を目撃するたんびに古代|希臘《ギリシャ》の婦人を追懐するよ」「また希臘か」と主人が冷笑するように云い放つと「どうも美な感じのするものは大抵希臘から源を発しているから仕方がない。美学者と希臘とはとうてい離れられないやね。――ことにあの色の黒い女学生が一心不乱に体操をしているところを拝見すると、僕はいつでも Agnodice の逸話を思い出すのさ」と物知り顔にしゃべり立てる。「またむずかしい名前が出て来ましたね」と寒月君は依然としてにやにやする。「Agnodice はえらい女だよ、僕は実に感心したね。当時|亜典《アテン》の法律で女が産婆を営業する事を禁じてあった。不便な事さ。Agnodice だってその不便を感ずるだろうじゃないか」「何だい、その――何とか云うのは」「女さ、女の名前だよ。この女がつらつら考えるには、どうも女が産婆になれないのは情けない、不便極まる。どうかして産婆になりたいもんだ、産婆になる工夫はあるまいかと三日三晩手を拱《こまぬ》いて考え込んだね。ちょうど三日目の暁方《あけがた》に、隣の家で赤ん坊がおぎゃあと泣いた声を聞いて、うんそうだと豁然大悟《かつぜんたいご》して、それから早速長い髪を切って男の着物をきて Hierophilus の講義をききに行った。首尾よく講義をきき終《おお》せて、もう大丈夫と云うところでもって、いよいよ産婆を開業した。ところが、奥さん流行《はや》りましたね。あちらでもおぎゃあ[#「おぎゃあ」に傍点]と生れるこちらでもおぎゃあ[#「おぎゃあ」に傍点]と生れる。それがみんな Agnodice の世話なんだから大変|儲《もう》かった。ところが人間万事|塞翁《さいおう》の馬、七転《ななころ》び八起《やお》き、弱り目に祟《たた》り目で、ついこの秘密が露見に及んでついに御上《おかみ》の御法度《ごはっと》を破ったと云うところで、重き御|仕置《しおき》に仰せつけられそうになりました」「まるで講釈見たようです事」「なかなか旨《うま》いでしょう。ところが亜典《アテン》の女連が一同連署して嘆願に及んだから、時の御奉行もそう木で鼻を括《くく》ったような挨拶も出来ず、ついに当人は無罪放免、これからはたとい女たりとも産婆営業勝手たるべき事と云う御布令《おふれ》さえ出てめでたく落着を告げました」「よくいろいろな事を知っていらっしゃるのね、感心ねえ」「ええ大概の事は知っていますよ。知らないのは自分の馬鹿な事くらいなものです。しかしそれも薄々は知ってます」「ホホホホ面白い事ばかり……」と細君|相形《そうごう》を崩して笑っていると、格子戸《こうしど》のベルが相変らず着けた時と同じような音を出して鳴る。「おやまた御客様だ」と細君は茶の間へ引き下がる。細君と入れ違いに座敷へ這入《はい》って来たものは誰かと思ったらご存じの越智東風《おちとうふう》君であった。
 ここへ東風君さえくれば、主人の家《うち》へ出入《でいり》する変人はことごとく網羅し尽《つく》したとまで行かずとも、少なくとも吾輩の無聊《ぶりょう》を慰むるに足るほどの頭数《あたまかず》は御揃《おそろい》になったと云わねばならぬ。これで不足を云っては勿体《もったい》ない。運悪るくほかの家へ飼われたが最後、生涯人間中にかかる先生方が一人でもあろうとさえ気が付かずに死んでしまうかも知れない。幸《さいわい》にして苦沙弥先生門下の猫児《びょうじ》となって朝夕《ちょうせき》虎皮《こひ》の前に侍《はん》べるので先生は無論の事迷亭、寒月|乃至《ないし》東風などと云う広い東京にさえあまり例のない一騎当千の豪傑連の挙止動作を寝ながら拝見するのは吾輩にとって千載一遇の光栄である。御蔭様でこの暑いのに毛袋でつつまれていると云う難儀も忘れて、面白く半日を消光する事が出来るのは感謝の至りである。どうせこれだけ集まれば只事《ただごと》ではすまない。何か持ち上がるだろうと襖《ふすま》の陰から謹《つつし》んで拝見する。
「どうもご無沙汰を致しました。しばらく」と御辞儀をする東風君の顔を見ると、先日のごとくやはり奇麗に光っている。頭だけで評すると何か緞帳役者《どんちょうやくしゃ》のようにも見えるが、白い小倉《こくら》の袴《はかま》のゴワゴワするのを御苦労にも鹿爪《しかつめ》らしく穿《は》いているところは榊原健吉《さかきばらけんきち》の内弟子としか思えない。従って東風君の身体で普通の人間らしいところは肩から腰までの間だけである。「いや暑いのに、よく御出掛だね。さあずっと、こっちへ通りたまえ」と迷亭先生は自分の家《うち》らしい挨拶をする。「先生には大分《だいぶ》久しく御目にかかりません」「そうさ、たしかこの春の朗読会ぎりだったね。朗読会と云えば近頃はやはり御盛《おさかん》かね。その後《ご》御宮《おみや》にゃなりませんか。あれは旨《うま》かったよ。僕は大《おおい》に拍手したぜ、君気が付いてたかい」「ええ御蔭で大きに勇気が出まして、とうとうしまいまで漕《こ》ぎつけました」「今度はいつ御催しがありますか」と主人が口を出す。「七八|両月《ふたつき》は休んで九月には何か賑《にぎ》やかにやりたいと思っております。何か面白い趣向はございますまいか」「さよう」と主人が気のない返事をする。「東風君僕の創作を一つやらないか」と今度は寒月君が相手になる。「君の創作なら面白いものだろうが、一体何かね」「脚本さ」と寒月君がなるべく押しを強く出ると、案のごとく、三人はちょっと毒気をぬかれて、申し合せたように本人の顔を見る。「脚本はえらい。喜劇かい悲劇かい」と東風君が歩を進めると、寒月先生なお澄し返って「なに喜劇でも悲劇でもないさ。近頃は旧劇とか新劇とか大部《だいぶ》やかましいから、僕も一つ新機軸を出して俳劇《はいげき》と云うのを作って見たのさ」「俳劇たどんなものだい」「俳句趣味の劇と云うのを詰めて俳劇の二字にしたのさ」と云うと主人も迷亭も多少|煙《けむ》に捲《ま》かれて控《ひか》えている。「それでその趣向と云うのは?」と聞き出したのはやはり東風君である。「根が俳句趣味からくるのだから、あまり長たらしくって、毒悪なのはよくないと思って一幕物にしておいた」「なるほど」「まず道具立てから話すが、これも極《ごく》簡単なのがいい。舞台の真中へ大きな柳を一本植え付けてね。それからその柳の幹から一本の枝を右の方へヌッと出させて、その枝へ烏《からす》を一羽とまらせる」「烏がじっとしていればいいが」と主人が独《ひと》り言《ごと》のように心配した。「何わけは有りません、烏の足を糸で枝へ縛《しば》り付けておくんです。でその下へ行水盥《ぎょうずいだらい》を出しましてね。美人が横向きになって手拭を使っているんです」「そいつは少しデカダンだね。第一誰がその女になるんだい」と迷亭が聞く。「何これもすぐ出来ます。美術学校のモデルを雇ってくるんです」「そりゃ警視庁がやかましく云いそうだな」と主人はまた心配している。「だって興行さえしなければ構わんじゃありませんか。そんな事をとやかく云った日にゃ学校で裸体画の写生なんざ出来っこありません」「しかしあれは稽古のためだから、ただ見ているのとは少し違うよ」「先生方がそんな事を云った日には日本もまだ駄目です。絵画だって、演劇だって、おんなじ芸術です」と寒月君大いに気焔《きえん》を吹く。「まあ議論はいいが、それからどうするのだい」と東風君、ことによると、やる了見《りょうけん》と見えて筋を聞きたがる。「ところへ花道から俳人|高浜虚子《たかはまきょし》がステッキを持って、白い灯心《とうしん》入りの帽子を被《かぶ》って、透綾《すきや》の羽織に、薩摩飛白《さつまがすり》の尻端折《しりっぱしょ》りの半靴と云うこしらえで出てくる。着付けは陸軍の御用達《ごようたし》見たようだけれども俳人だからなるべく悠々《ゆうゆう》として腹の中では句案に余念のない体《てい》であるかなくっちゃいけない。それで虚子が花道を行き切っていよいよ本舞台に懸った時、ふと句案の眼をあげて前面を見ると、大きな柳があって、柳の影で白い女が湯を浴びている、はっと思って上を見ると長い柳の枝に烏が一羽とまって女の行水を見下ろしている。そこで虚子先生|大《おおい》に俳味に感動したと云う思い入れが五十秒ばかりあって、行水の女に惚れる烏かな[#「行水の女に惚れる烏かな」に傍点]と大きな声で一句朗吟するのを合図に、拍子木《ひょうしぎ》を入れて幕を引く。――どうだろう、こう云う趣向は。御気に入りませんかね。君|御宮《おみや》になるより虚子になる方がよほどいいぜ」東風君は何だか物足らぬと云う顔付で「あんまり、あっけないようだ。もう少し人情を加味した事件が欲しいようだ」と真面目に答える。今まで比較的おとなしくしていた迷亭はそういつまでもだまっているような男ではない。「たったそれだけで俳劇はすさまじいね。上田敏《うえだびん》君の説によると俳味とか滑稽とか云うものは消極的で亡国の音《いん》だそうだが、敏君だけあってうまい事を云ったよ。そんなつまらない物をやって見給え。それこそ上田君から笑われるばかりだ。第一劇だか茶番だか何だかあまり消極的で分らないじゃないか。失礼だが寒月君はやはり実験室で珠《たま》を磨いてる方がいい。俳劇なんぞ百作ったって二百作ったって、亡国の音《いん》じゃ駄目だ」寒月君は少々|憤《むっ》として、「そんなに消極的でしょうか。私はなかなか積極的なつもりなんですが」どっちでも構わん事を弁解しかける。「虚子がですね。虚子先生が女に惚れる烏かな[#「女に惚れる烏かな」に傍点]と烏を捕《とら》えて女に惚れさしたところが大《おおい》に積極的だろうと思います」「こりゃ新説だね。是非御講釈を伺がいましょう」「理学士として考えて見ると烏が女に惚れるなどと云うのは不合理でしょう」「ごもっとも」「その不合理な事を無雑作《むぞうさ》に言い放って少しも無理に聞えません」「そうかしら」と主人が疑った調子で割り込んだが寒月は一向頓着しない。「なぜ無理に聞えないかと云うと、これは心理的に説明するとよく分ります。実を云うと惚れるとか惚れないとか云うのは俳人その人に存する感情で烏とは没交渉の沙汰であります。しかるところあの烏は惚れてるなと感じるのは、つまり烏がどうのこうのと云う訳じゃない、必竟《ひっきょう》自分が惚れているんでさあ。虚子自身が美しい女の行水《ぎょうずい》しているところを見てはっと思う途端にずっと惚れ込んだに相違ないです。さあ自分が惚れた眼で烏が枝の上で動きもしないで下を見つめているのを見たものだから、ははあ、あいつも俺と同じく参ってるなと癇違《かんちが》いをしたのです。癇違いには相違ないですがそこが文学的でかつ積極的なところなんです。自分だけ感じた事を、断りもなく烏の上に拡張して知らん顔をしてすましているところなんぞは、よほど積極主義じゃありませんか。どうです先生」「なるほど御名論だね、虚子に聞かしたら驚くに違いない。説明だけは積極だが、実際あの劇をやられた日には、見物人はたしかに消極になるよ。ねえ東風君」「へえどうも消極過ぎるように思います」と真面目な顔をして答えた。
 主人は少々談話の局面を展開して見たくなったと見えて、「どうです、東風さん、近頃は傑作もありませんか」と聞くと東風君は「いえ、別段これと云って御目にかけるほどのものも出来ませんが、近日詩集を出して見ようと思いまして――稿本《こうほん》を幸い持って参りましたから御批評を願いましょう」と懐から紫の袱紗包《ふくさづつみ》を出して、その中から五六十枚ほどの原稿紙の帳面を取り出して、主人の前に置く。主人はもっともらしい顔をして拝見と云って見ると第一頁に
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世の人に似ずあえかに見え給う
   富子嬢に捧ぐ
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と二行にかいてある。主人はちょっと神秘的な顔をしてしばらく一頁を無言のまま眺《なが》めているので、迷亭は横合から「何だい新体詩かね」と云いながら覗《のぞ》き込んで「やあ、捧げたね。東風君、思い切って富子嬢に捧げたのはえらい」としきりに賞《ほ》める。主人はなお不思議そうに「東風さん、この富子と云うのは本当に存在している婦人なのですか」と聞く。「へえ、この前迷亭先生とごいっしょに朗読会へ招待した婦人の一人です。ついこの御近所に住んでおります。実はただ今詩集を見せようと思ってちょっと寄って参りましたが、生憎《あいにく》先月から大磯へ避暑に行って留守でした」と真面目くさって述べる。「苦沙弥君、これが二十世紀なんだよ。そんな顔をしないで、早く傑作でも朗読するさ。しかし東風君この捧げ方は少しまずかったね。このあえかに[#「あえかに」に傍点]と云う雅言《がげん》は全体何と言う意味だと思ってるかね」「蚊弱《かよわ》いとかたよわく[#「たよわく」に傍点]と云う字だと思います」「なるほどそうも取れん事はないが本来の字義を云うと危う気に[#「危う気に」に傍点]と云う事だぜ。だから僕ならこうは書かないね」「どう書いたらもっと詩的になりましょう」「僕ならこうさ。世の人に似ずあえかに見え給う富子嬢の鼻の下[#「鼻の下」に傍点]に捧ぐとするね。わずかに三字のゆきさつだが鼻の下[#「鼻の下」に傍点]があるのとないのとでは大変感じに相違があるよ」「なるほど」と東風君は解《げ》しかねたところを無理に納得《なっとく》した体《てい》にもてなす。
 主人は無言のままようやく一頁をはぐっていよいよ巻頭第一章を読み出す。
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倦《う》んじて薫《くん》ずる香裏《こうり》に君の
霊か相思の煙のたなびき
おお我、ああ我、辛《から》きこの世に
あまく得てしか熱き口づけ
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「これは少々僕には解しかねる」と主人は嘆息しながら迷亭に渡す。「これは少々振い過ぎてる」と迷亭は寒月に渡す。寒月は「なああるほど」と云って東風君に返す。
「先生御分りにならんのはごもっともで、十年前の詩界と今日《こんにち》の詩界とは見違えるほど発達しておりますから。この頃の詩は寝転んで読んだり、停車場で読んではとうてい分りようがないので、作った本人ですら質問を受けると返答に窮する事がよくあります。全くインスピレーションで書くので詩人はその他には何等の責任もないのです。註釈や訓義《くんぎ》は学究のやる事で私共の方では頓《とん》と構いません。せんだっても私の友人で送籍《そうせき》と云う男が一夜[#「一夜」に傍点]という短篇をかきましたが、誰が読んでも朦朧《もうろう》として取り留《と》めがつかないので、当人に逢って篤《とく》と主意のあるところを糺《ただ》して見たのですが、当人もそんな事は知らないよと云って取り合わないのです。全くその辺が詩人の特色かと思います」「詩人かも知れないが随分妙な男ですね」と主人が云うと、迷亭が「馬鹿だよ」と単簡《たんかん》に送籍君を打ち留めた。東風君はこれだけではまだ弁じ足りない。「送籍は吾々仲間のうちでも取除《とりの》けですが、私の詩もどうか心持ちその気で読んでいただきたいので。ことに御注意を願いたいのはからき[#「からき」に傍点]この世と、あまき[#「あまき」に傍点]口づけと対《つい》をとったところが私の苦心です」「よほど苦心をなすった痕迹《こんせき》が見えます」「あまい[#「あまい」に傍点]とからい[#「からい」に傍点]と反照するところなんか十七味調《じゅうしちみちょう》唐辛子調《とうがらしちょう》で面白い。全く東風君独特の伎倆で敬々服々の至りだ」としきりに正直な人をまぜ返して喜んでいる。
 主人は何と思ったか、ふいと立って書斎の方へ行ったがやがて一枚の半紙を持って出てくる。「東風君の御作も拝見したから、今度は僕が短文を読んで諸君の御批評を願おう」といささか本気の沙汰である。「天然居士《てんねんこじ》の墓碑銘《ぼひめい》ならもう二三遍拝聴したよ」「まあ、だまっていなさい。東風さん、これは決して得意のものではありませんが、ほんの座興ですから聴いて下さい」「是非伺がいましょう」「寒月君もついでに聞き給え」「ついででなくても聴きますよ。長い物じゃないでしょう」「僅々六十余字さ」と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
「大和魂《やまとだましい》! と叫んで日本人が肺病やみのような咳《せき》をした」
「起し得て突兀《とっこつ》ですね」と寒月君がほめる。
「大和魂! と新聞屋が云う。大和魂! と掏摸《すり》が云う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。独逸《ドイツ》で大和魂の芝居をする」
「なるほどこりゃ天然居士《てんねんこじ》以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返って見せる。
「東郷大将が大和魂を有《も》っている。肴屋《さかなや》の銀さんも大和魂を有っている。詐偽師《さぎし》、山師《やまし》、人殺しも大和魂を有っている」
「先生そこへ寒月も有っているとつけて下さい」
「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五六間行ってからエヘンと云う声が聞こえた」
「その一句は大出来だ。君はなかなか文才があるね。それから次の句は」
「三角なものが大和魂か、四角なものが大和魂か。大和魂は名前の示すごとく魂である。魂であるから常にふらふらしている」
「先生だいぶ面白うございますが、ちと大和魂が多過ぎはしませんか」と東風君が注意する。「賛成」と云ったのは無論迷亭である。
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇《あ》った者がない。大和魂はそれ天狗《てんぐ》の類《たぐい》か」
 主人は一結杳然《いっけつようぜん》と云うつもりで読み終ったが、さすがの名文もあまり短か過ぎるのと、主意がどこにあるのか分りかねるので、三人はまだあとがある事と思って待っている。いくら待っていても、うんとも、すんとも、云わないので、最後に寒月が「それぎりですか」と聞くと主人は軽《かろ》く「うん」と答えた。うんは少し気楽過ぎる。
 不思議な事に迷亭はこの名文に対して、いつものようにあまり駄弁を振わなかったが、やがて向き直って、「君も短篇を集めて一巻として、そうして誰かに捧げてはどうだ」と聞いた。主人は事もなげに「君に捧げてやろうか」と聴くと迷亭は「真平《まっぴら》だ」と答えたぎり、先刻《さっき》細君に見せびらかした鋏《はさみ》をちょきちょき云わして爪をとっている。寒月君は東風君に向って「君はあの金田の令嬢を知ってるのかい」と尋ねる。「この春朗読会へ招待してから、懇意になってそれからは始終交際をしている。僕はあの令嬢の前へ出ると、何となく一種の感に打たれて、当分のうちは詩を作っても歌を詠《よ》んでも愉快に興が乗って出て来る。この集中にも恋の詩が多いのは全くああ云う異性の朋友《ほうゆう》からインスピレーションを受けるからだろうと思う。それで僕はあの令嬢に対しては切実に感謝の意を表しなければならんからこの機を利用して、わが集を捧げる事にしたのさ。昔《むか》しから婦人に親友のないもので立派な詩をかいたものはないそうだ」「そうかなあ」と寒月君は顔の奥で笑いながら答えた。いくら駄弁家の寄合でもそう長くは続かんものと見えて、談話の火の手は大分《だいぶ》下火になった。吾輩も彼等の変化なき雑談を終日聞かねばならぬ義務もないから、失敬して庭へ蟷螂《かまきり》を探しに出た。梧桐《あおぎり》の緑を綴《つづ》る間から西に傾く日が斑《まだ》らに洩《も》れて、幹にはつくつく法師《ぼうし》が懸命にないている。晩はことによると一雨かかるかも知れない。

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